■ニューヨーク日記 PART 5■



  ◆2004年7月3日〜8月30日【最終章】


2004年7月4日 〜田舎の休日〜

グランドセントラル駅からHudson Lineに乗り込み($9.50)、約1時間ハド
ソン川沿いを北上すると、そこには自然に包まれた駅Cold Springがある。車
窓から見えるのどかで美しい風景が私をここへ導いた。

今回の旅は行く先を決めないで電車に乗り込み、到着してから計画を立て
た。町について全く予備知識のなかった私は戸惑いながらも昼食を終え、ハ
ドソン川岸に辿り着いた。来る途中カヤックに乗って楽しそうに川下りをする
家族を見て、興味が湧いたからだった。時間を気にせず久々の大自然を体
全体で受け止める。プカプカと水の上で風に揺られ、流されては力いっぱい
パドルで漕ぐ。正面には緑豊かな山脈が連なり、真下に逞しいハドソンリバ
ーが広がっていた。 

その後町に戻ると、およそ300メートルしかないメイン通りに、アンティークシ
ョップが幾重にも軒を重ねて待ち構えていた。60年代の良い雰囲気を残す
Cold Springは、今は無き町の栄光に代わって、第二の人生を歩む老夫婦で
賑わっていた。2回目の夏の到来と共に、今まで訪れたことのない自然に溢
れたニューヨークを満喫した。都会には無い心地良い澄んだ風が、日々の慌
しさと疲れを癒してくれた。


2004年7月4日 〜年に一度の光の祭典〜 

日頃のお礼としてMacy`sが市民に捧げる夏の恒例行事Independence Fireworks。去年はマンハッタンの高速道路の上から煌びやかな花火を眺めた。そんな思い出を胸に、今年は地元のブルックリンから見ようと、North7th.streetの奥にある秘密スポットへと出掛けた。

ところが、目的地は警察官が厳重に警戒線を張り巡らし、通行止めとなっていた。中に入らなければ花火を見ることは出来ないのだが、どうしても見たかった私は、乗ってきた自転車を土台にそばにあった塀をよじ登った。

赤、青、白と3色のアメリカ国旗の色が、歓声と共に誇らしげに空高く舞い上がる。塀の向こうで繰り広げられる色とりどりの光の祭典は、見る者を一瞬にして虜にしてしまう。そんな花火に見とれる私の後ろには、何百何千という群集が拍手をしながら母国の独立記念日を祝っていた。
 
見る場所によってその場の雰囲気もまた変わる。今年は花火だけでなく、ブルックリンの観衆にも目を向けてみた。警察に仕切られた群集の中からは、明日の平和を願う皆の強い気持ちが感じとれた。それは花火と一緒に、遠く離れた地イラクで戦う母国の兵士に向けられていたのかも知れない。


2004年7月9日 〜庭のある生活〜

ニューヨークにあるカフェやレストラン、一軒家で庭を目にすることは稀であ
る。それは日本でも同じことだ。だが私の住むWilliamsburg近辺には、沢山
ではないがセンスの良い裏庭を持つ場所がある。そんな時、国際カップルの
友人JoeとMomoyoが私を訪ねて遊びに来た。

Carmaya(139 North6th.street)と呼ばれるレストランの奥には、緑に囲ま
れた客席が用意されており、天気の良い日は特別に清々しい気分になれ
る。ハワイの薫りが漂う店内には、手作りの味が至る箇所に現れ、美味しい
魚介類を手ごろな値段で楽しむことが出来る。また夜に顔を出せば、スタッ
フの手による可愛らしい電飾が光り輝き、ロマンチックなムードに浸らせてく
れる。

散歩をした後、私たちは喉を潤すためにあるカフェに足を踏み入れた。
St.Helen Cafe(150 Wythe Ave)には、小さいが水と自然が調和した美しい
裏庭がある。また、ここで出されるティーやオリジナルデザートは、午後のマ
ッタリとした瞬間を更に充実したものに変えてくれる。人当たりの良いスタッ
フと優しい日差しに包まれながら、旧友と久しぶりの会話に花が咲いた。
 
コンクリートで建てられた、いかにもモダンな雰囲気を持つ店が流行る中、こ
うした隠れ家的な店の存在は、私にとって非常に心休まるため重宝してい
る。店内には、外とはまた違うゆったりとした時間が流れている。


2004年7月10日 〜ニュージャージーは未知の世界〜 

国際カップルのJoeyとKanaと買い物に出掛けた。新しく車を買ったJoeyの運転で、ニュージャージーに渡る。快晴の下、マンハッタンが一望出来る丘に立った。なんて美しい景色なのだろうか。3人とも暫く身動きがとれず、その場でジッと立ち竦んだ。ブルックリンに住む私には少し悔しいが、ニュージャージー側から見たマンハッタンの景色に勝てる場所はない。

その後、日系スーパーではかなりの規模を誇るMitsuwa MARKET PLACEを訪れた。久々に見る日本食品のオンパレードに感動しつつ、Joeyの質問に答えながら店内をくまなく回る。特に調味料は1つに対して何十種類もあり、日本にあるスーパー顔負けの品揃えだ。そして、当初は日本人しか来ない場所なのだろうと想像していたが、実際には国籍を問わず、色んな人種が買い物に訪れていた。Joey曰く「日本食はアメリカンフードと比べると油が少なく健康に良いから、きっと皆注目しているんだよ」と。思ったとおり私たちの買い物かごは見る見る埋まっていき、レジでJoey & Kanaはかなりの支払額に驚いていた。私は、焼きソバ、ラーメン、キムチなどのセール品を買い溜めしておいた。ただ、日本食品や日本に対し、大した執着がない私は、いつもアメリカ製品を利用している。


2004年7月16日 〜音楽が潤す Friday Night〜

毎週金曜の夜は、新鮮な音楽を満喫する、とっておきのChill Nightだ。ルー
ムメイトを通じて知り合ったToshi君ことDJ SPIER 1200の選曲により、居心
地の良い空間が現れる。特に彼の専門分野Hip Hopが流れる度、私はリラ
ックス出来る不思議な空間へと流れ込む。

ニューヨークに来るまで大してHip Hopに興味のなかった私だが、現役で活
躍する彼と偶然知り合ったおかげで、新しい世界を知ることとなった。世間で
流されるいわゆるコマーシャルソングには無い彼独自のセンスがしっかりと
CDに吹き込まれ、疲れた体をほぐしてくれる。好きな音楽に包まれ、好きな
酒を飲み、好きな話題に花が咲く。一週間の内でこれほどリラックス出来る
日は、金曜日の夜以外考えられない。

何かをやり遂げた後の何とも言えない達成感と程よい疲労、それを優しく包
み込む酔いと眠気、全てが音楽と共にミックスされ、不思議な感覚に陥る。
薄暗くライトアップされたリビングルームは、金曜だけの時間が流れている。

横で眠ったルームメイトの顔を見ながら、特別な夜はピンク色の朝へと変わ
っていく。


2004年7月19日 〜夏の怪談〜 

この日は午前中雨が降っていたためか、夜中になっても空気が湿っていて寝苦しい夜となった。寝付けずに夜中ふとパソコンに目をやると、何か黒い線が2本スクリーン上にかすんで見えた。そこで、蝋燭の明かりを頼りにパソコンに近寄り、すぐ横に置いてあった眼鏡をかけると、「ギャー!!」という悲鳴が心の中で大きく響いた。

なんとスクリーン上に映ったものは、大きなゴキブリの触覚だったのだ。それも顔が薄赤く、胴体が茶色の身の毛のよだつ気色の悪いヤツだ。驚いてアタフタしていると、ヤツは素早い身のこなしで狭い隙間に入り込んで逃げてしまった。この状態で落ち着いて眠れるはずもなく、翌朝私はリビングのソファーで目を覚ました。
こんな悪夢に耐えられるわけもなく、翌日すぐ近所にあるアートショップに出掛け、粘土を買った。これは、部屋にある穴や隙間を埋めるためで、小さなものも含めて全て塞いでやった。これで落ち着いて安眠出来ると思い、その晩は嬉しくなって映画を観に出掛けた。

だが、帰宅して電気を点けてまた驚いた!ヤツがすぐ足の横をチョロチョロしていたからだ。最終的にヤツは新聞紙に包まれて生ゴミと共に去っていったのだが、こちらとしては冗談にならなかった。ヒッソリ静まった夜に突如姿を現し、いきなり人々を驚かす嫌われ者。特にアメリカ種は、サイズもアメリカ版で余計に気持ち悪い。暑くなると現れる夏の風物詩、ゴキブリ。私にとっては悪夢以外の何者でもない。


2004年7月26日 〜伝説が生まれるSTREET〜

RUCKER PARK(155th.Street)と呼ばれる一見普通のバスケット・コートから、数々の伝説が誕生している。ハーレ
ムの奥地にあるこのコートは、ストリート・バスケットボールの誕生の地と言っても過言ではない。

EBC(Entertainment Basketball Classic)主催による試合が多くのファンを魅了し、客席を常に興奮の渦へと引き込
む。それもそのはず、名前の通りただプレーするたけではなく、バスケットボールをエンターテイメントとして見せる
のである。スラムダンク、アーリーウープ、俊敏なドリブル・・・全てが華麗でいて美しい。NBAを生で見たことのある
人でさえ、その歴然とした迫力の差と楽しみ方の違いに度肝を抜かれる。腕の立つ選手は全てニックネームで呼
ばれ、Bone Collector, Track, Sky Walkerなど、選手の特徴をつかんだものが付けられる。これらは、試合中コート
上を縦横無尽に歩き回るMCから自然と発せられる。

「常識なんてクソ喰らえ!」、そんな自由な発想が長い歴史を誇るこのParkには、今も色褪せることなく息づいてい
る。試合中は大音量のヒップホップと共にMCが途切れることなく感じたままを語り、毒舌を交えて選手や観客を盛
り上げる。それに答えるように、選手はど派手なプレーを、観客は叫び、踊るのである。アドレナリンが噴出する!
肌の色も話す言葉も関係ない、全ての客が熱いプレーだけに集中し、楽しむだけなのだ。黒人文化が集約されたこ
のコートは、いつもDJ,MC,DANCERが控え、バスケだけでなく、STREETの楽しみ方を肌で感じさせてくれるのであ
る。

余談として、NBAスーパースターのコビー・ブライアンや、FAT JOE、メアリーJブライジ、元アメリカ大統領ビルクリン
トンなどの超有名人も訪れたことがある。驚くことはない・・・納得のいく内容なのだから。しかも無料でね!


2004年7月31日 〜潮の薫りと共にタイムスリップ〜 

ホットドック大食い競争が行われることで有名なCONEY ISLANDに来た。
潮風の薫りと少し湿った風が頬をつたう。海辺ならではの味、生貝をホットソースと一緒に飲み込む。新鮮で最高に美味い!上着を脱ぎ、友人が持ってきた酒をコップに注ぐ。海辺で酒を飲んではいけなのだが、そんなことはお構いなし。さすがニューヨーク流の楽しみ方!しかも中身をペットボトルに移し変えてくる頭の良さ。2年ぶりの海水浴に子供のようにはしゃぎまくって、存分に楽しむ。泳ぎ疲れ、サンサンと輝く太陽の下1時間ほど寝転んだ。

マンハッタンから電車で約1時間、少し汚いが広々とした砂浜に懐かしい風景が続く町CONEY ISLAND。まるで時代が変わったかのような錯覚に落ち、砂浜沿いに続くボードウォークから見える景色と海風が、リラックスさせてくれる。

そして、海辺に隣接する小さな遊園地が懐かしくて赴き深い。私の歳より古いこの場所には、郷愁を誘う大観覧車、木製レールのジェットコースター、見せ物小屋に綿菓子屋やなど、年代を大いに感じさせる雰囲気がある。真新しい遊園地と違って過激さはないが、古すぎて今にも壊れてしまうのでは?という変なスリルもあって楽しい。ただ、古いからってなめてかかると、私みたいに大恥をかくことになるので要注意?


2004年8月1日 〜隠れた人気スポット〜 

友人から「今日は満月だよ」と言われ、気になってアパートの屋上に上った。すると、綺麗な丸い月が遠くで輝いていた。日本で見るそれとは違い、とても小さく鈍く輝いているように見えた。屋上は普段あまり人が上らない場所だと思っていたが、ニューヨーカーの間ではよく使う場所の1つらしい。夜景を眺めたければ上り、パーティーに使いたければ上り、恋に落ちては上る・・・私は何を考えていたのだろう。

そして、月に被さるように立つ友人を前にシャッターを切った。シルエットだけが神秘的に浮き上がる不思議な写真が撮れた。楽しくなった私たちは、何度も何度もポーズを変えた。う〜ん、面白い・・・。


2004年8月8日 〜いつまでも追いかけたい人〜

私の最も尊敬するアメリカ人Anson(学校の先生)からの誘いで、オークションに賭けられている土地の下見に出掛けた。彼はローアーイーストにアパートを借りているが、避暑地と老後のための土地を探し回っていた。約1ヶ月ぶりの再会に興奮せずにはいられなかったが、二日酔いのため少々キツイ小旅行となった。レンタカーで3時間程北西に進むと、緑豊かな大地広がるニューヨーク州都Albanyに到着する。その後、湖の畔にある素晴らしい眺めの土地を歩きながら、念入りに下見をした。元々自然の中で育ったAnsonにとって、この辺りの場所は静かで美しく、老後には最適だと思った。もし落札出来たら、自分で設計して家を建て、週末は学校の生徒に貸してあげるのだそうだ。こういった彼の優しさが、生徒からの絶大な人気に繋がっているのかもしれない。森の中でサンドウィッチを食べ、鹿の足跡を追ったり、キツツキが奏でる音に耳を澄ませて休日の午後を楽しんだ。

快晴なのに肌寒いという気味悪い天候の中、私たちは家路に着いた。レンタカーを返してから、イーストヴィレッジでビールを飲んだ。ほろ酔い気分で昔話をたくさんした。こんなに長い時間を一緒に過した日はなかったので、とても嬉しい思い出が出来た。ただ、プラットホームで1人電車を待つ間、日本にもうすぐ帰らねばならないという、悲しい事実に初めて気が付いた。



2004年8月13日 〜フィナーレを飾る壮大な旅〜

『アメリカ大陸横断5500km』

俺の夢が遂に叶う時が来た。

もの心ついた頃から車やバイクが好きで、大学時代には親の反対を押し切ってバイクの免許を取った。バイトで稼いだ金も、気が付けばバイクの改造費やガソリン代に消える日々が続いた。その後1代目のバイクを売り、渡米直前まで生涯の相棒だと思っていたHarley Davidsonに跨っていた。1450CCもあった大きな鉄馬も、今は写真が数枚残るのみ・・・。
「いつかまたHarleyに乗りたい」そんな強い気持ちを胸に、俺はニューヨーク
行きの切符を手にしたのだった。

今、俺はニューヨークに居る。Harley Davidsonの産まれ故郷がある憧れの
国で生活している。だが、日本で就職したら今度いつ来られるか分からな
い、こんな事を考えていたら無性にアメリカが恋しくなった。それなら、大好き
なバイクで広大な土地を思う存分走り回ってやろうじゃないか!しかも、この
留学生活のフィナーレを飾る壮大なスケールだ。

突然の出来事だったが、俺はすぐに日本に連絡し両親の了解を得た。大金
が必要だったからだ。借金してでも最後に達成したい旅だから、どうしても諦
められなかった。地平線まで果てしなく続く乾いた道、鉄馬が奏でるエンジ
ン・サウンドに鼓動、全てが俺の憧れるアメリカだ。胸が高鳴る、ドキドキす
る。

気になるルートの話だが、まずロスまで飛び、現地でHarleyを借りてニューヨ
ークを目指す。アメリカ大陸を2週間かけて横断するのだ。その距離
5500km!!!想像もつかない広大なアメリカ大陸を、悔いの無いよう自
分の五感で精一杯堪能する予定だ。

それでは、行ってきます♪


2004年8月14日 〜西と東の違い〜

今日はツアーに参加する人達と初めて顔合わせをした。広い大陸を一人で横断しようと考えていたが、バイクの故障等問題が発生した時に安心なように日本人が企画するツアーに参加したのだった。参加者は全員で7名、
50代から65歳までと予想していた通り俺が最年少だった。

その後簡単なミーティングを終え、オプショナルツアーのL.A観光へと出掛けた。西海岸に来たのは今回が初めてで、東海岸と比べると大きな違いがあった。この街は完璧な車社会が成り立っており、道は常に渋滞していた。空気が乾燥していて空は澄み切った青、そんな雰囲気を楽しみながら観光をした。HOLLYWOODでディカプリオの家やマドンナの別荘を見学し、映画好きにはたまらないKODAK THEATERなどを回った。かなりミーハーなツアーとなったが、明日から始まる長い道のりを考えると少し息抜きが出来た。

そして、参加者達のこのツアーに対する意気込みは俺と共通する部分が多く、「死ぬまでの一生の夢でした」といった篤い情熱を感じた。まさに男のロマンといった感じだろうか。いよいよ明日から始まる旅行に胸が高鳴り、なかなか布団に入っても寝付けなかった。


2004年8月15日 〜灼熱とオアシスへの道〜

俺の相棒となったFLHTC(通称ウルトラ)と対面した。このバイクはHarleyの
中でも一番大きい車種で、風除けに3つのトランク、CDプレイヤーが標準装
備されている豪華クルーザーだ。本当は車重が350キロもあるため乗りたく
なかったのだが、参加者に初心者がいたためしょうがなくウルトラを選んだ。
久々に乗るHarleyに感動し、いよいよ出発だ。暫く見られないからと西海岸
の青く澄んだ海辺からスタートを切った。俺の憧れたアメリカ大陸を今まさに
自分で横断しようといている。何て素晴らしいのだろう!あまりの嬉しさにサ
ングラスの下は涙で潤んでいた。自分でも信じられないが、本当に嬉しかっ
たのだ。ニューヨークで過した1年が走馬灯のように目の前を横切り、涙は
乾いた風と共に消えていった。

今日の目的地はL.Aから約430キロ離れた場所にあるLAS VEGASだ。慣れ
ない集団走行と扱い難い相棒に戸惑いつつ、砂漠の中を突っ切る1本の道
を走った。緑は一切なく、まるで火星を走っているようだった。肌を突き刺す
ような強い日光の陽射しに、乾いた風が俺の闘争心を奮い立てた。(俺は負
けない。何があってもニューヨークまで走りきってやる)そんな想いを胸に長く
て険しい初日を走り終えた。砂漠の中に突如現れたカジノの町LAS 
VEGAS。疲労のため町を少し散策してモーテルに戻る。緊張と慣れない長
距離運転から疲れ果て、初日はすぐに眠りに落ちた。


2004年8月16日 〜古き良きアメリカの道〜

興奮し過ぎて早朝に目が覚めた。

ベーコンと目玉焼きの簡単な朝食後、鉄馬の奏でる心地良いエンジン・サウンドと共にワインディングの続く岩山を越え、キャプテンアメリカとビリーが駆け抜けたルート66を走行した。

途中にHACKBERRY GENERAL STOREという昔ながらの姿を残す赴き深い店に立ち寄った。俺が幼少の頃から憧れたアメリカがそこにはあった。無造作に置かれた年代物のクラシックカーに錆びた看板、全てが眩しかった。

ルート66はサンタモニカからシカゴまでを結ぶ道だが、そのほとんどがフリーウェイに占拠され、残念ながら昔ながらの道や店のほとんどが姿を消してしまった。コンクリートの塀で囲まれたフリーウェイを走るよりも、土煙のたつ昔ながらの何もないルート66が俺の心を掴んだ。

フリー走行(時間内に目的地に着けば好きなように走って良い)になった後、自分のペースで写真を撮りつつ、真っ直ぐに伸びる道でスピードアタックに挑戦した。結果105マイル(時速168キロ)を叩き出した。日本のように狭くてきついカーブのある高速道路では無理な話だが、アメリカの田舎道では楽勝といった感じがした。

乾燥した道を抜けると、今日の目的地がるArizona州Williamsに到着する。モーテルに到着する頃には雨が降り出し、高速走行に震えながら走った。標高が高いこの町には、蒸気機関車が走っておりGRAND CANYON NATIONAL PARKまでを結んでいる。

夏だからといって甘くみていたが、ヒーターをつけてベッドに入った。今日の走行距離は約440キロ。ふぅ〜先は長いぞ。




2004年8月17日 〜神々の宿る道〜

今回の旅で一番楽しみにしていた場所であるGRAND CANYONに着いた。

高低差1.8キロの大パノラマが目の前に広がる。人工では作ることの出来
ない雄大な景色に言葉を失った。ただただ「すごい!」の一言。長い年月を
掛けて削られた深い渓谷の合間をコロラド川が流れている。

何時間見ていようとも絶対に飽きることのない景色を見ようと、駐車場は世
界中から訪れた多くの人々で溢れていた。緑の続く道を抜け、西部劇で知ら
れるMONUMENT VALLEYを通過する。サンサンと輝く太陽の下、1本しかな
い道をひた走る。

今日の宿はUtah州MEXICAN HAT。周りには何もないが、その素朴な街並
みが好きになった。走行距離約451キロを走りきった後、ビール飲み放題
のオプショナルツアーに出掛けた。同行したトラックの荷台に乗り込み、
Valley of the Godsで夕日を見たのだ。ここでまたしても感動の涙を流した。

あまりにも美しく雄大な景色に飲まれ、自然の圧倒的な規模に感動したの
だ。岩の上に腰を下ろし、耳を澄ました。何も音が聞こえない。無音なのだ。
都会に住んでいる人は絶対に体験出来ないことだが、鳥や虫の鳴き声さえ
しない。まるで地球上ではないような錯覚にとらわれ、夕日が沈むまで静か
に見守った。

そして、今日の晩飯はスウィングステーキ。写真でも分かるように、焼き台
が上下にスウィングするのだ。雰囲気のあるオヤジが焼き加減を上手く調節
しながら、美味しい本場のステーキを焼いてくれた。


2004年8月18日 〜出会いの道〜

Arizona州、New Mexico州、Colorado州、Utah州をまたがるFour State Cornersで記念撮影。GPS機能のある時計で違う州を行ったり来たりしている人もいたが、正確には測定出来ていなかった様子。

インディアン・ジュエリー作りが盛んなこの地域でお土産も物色。なかなか味のある物が買えた。暑い砂漠地帯を走り続けた結果、髪の毛と肌がバサバサボロボロになり、この頃には何人だか分からなくなっていた。参加者には「その帽子被ってるとメキシコ人に見えるよ」なんて言われたっけ。

雨雲の動きに注意しながら山道を登り、歴史的に貴重なインディアンの遺跡Mesa Verdeへ。時間が限られていたので細かい事は分からないが、こんな山奥の洞窟に600年も人々が暮らしていたというから驚いた。

その後温泉の出る町Colorado州Pagosa Springsにて宿泊した。一服した後モーテルから少し離れた温泉を訪れた。日本とは違い水着を着用し、プール感覚で入った。温度によって区分けされた湯船は沢山あり、SPAのようでとても楽しい。

さらに、同じ湯船で話し掛けられた休暇中のアメリカ人学生と仲良くなり、英語の話せない参加者に通訳したりして仲良くなった。ただバイクに乗るのではなく、地元の人々と触れ合うことで旅が何倍にも楽しくなると思う。参加者も負けじとオヤジギャグを連発!アメリカ人も大笑した楽しい風呂だった。

走行距離約426キロ。まだまだ先は長い・・・。


2004年8月19日 〜大自然と闘う道〜

朝から嬉しい出来事があった。昨晩温泉で出会ったアメリカ人学生に偶然
再会したのだ。ガソリンスタンドの隣にあるレストランで食事をとっていた彼ら
が、集団でHarleyに乗った俺達を見つけ、声を掛けてくれたのだ。嬉しくてハ
グを交わし、集合写真を撮った。メールアドレスも交換していたので日本に
帰ってからも連絡を取ろうと思う。その後、久々の大都会で先頭集団とはぐ
れ迷子になった。ここはニューヨークに次ぐアートの町で、New Mexico州
Santa Fe。町のいたる所にハンドメイドジュエリーが所狭しと並び、観光客で
賑わっていた。ここで問題発生!参加者の中で唯一英語が話せる俺にみん
なが付いて来たのだ。一人でブラブラするのが好きな俺にとって、集団行動
はどうしても避けたいところ。自由時間は好きなことが出来る貴重な時間。し
ょうがないとは分かっていながらも「どうぞ、好きなことしてきて下さい。私は
一人で買い物しますから」と言ってスタスタ歩きだした。言葉なんてどうにか
なるもので、他人に頼ってばかりでは旅も面白くないとその時思った。その
後、なかなかセンスの良いお土産が買えたので気分が良かったが、雲行き
が怪しくなる。案の定、空はみるみる黒い雲で覆われ雨が降り出した。「痛
い!」目をつぶりたくなるような激しい雨?じゃなくて、夏なのにヒョウが降っ
た。体中冷え切って凍えそうになった。大声で何かを叫びながらただただ目
的地を目指して突き進んだ。走行距離が約400キロを超えた頃、今日の宿
New Mexico州Tucumcariに到着した。暑かったり、寒かったりと、アメリカ大
陸を進むにつれ大自然の存在を感じずにはいられなくなった。


2004年8月20日 〜アメリカのど真ん中を貫く道〜

広大な土地に突然と姿を現すオブジェ。Texas州の広い牧草地に何か作ろうと思った地主が、10台のキャデラックを大地に埋めたものがキャデラックランチ。特にこれといって面白くはなかったが、アメリカ人はやっぱり変な奴が多いな〜。

お腹が空いた頃味のあるステーキハウスに寄った。中には鹿の角やら色んな動物の剥製が飾ってあり、カウボーイハットを被ったウェイトレスなんかもいて雰囲気がとても良かった。固くて飲み込みづらい肉だが、本場モノということで美味しく食べられた。この辺りが調度アメリカ大陸のど真ん中。大分走った気になっていたが、まだ折り返し地点。

天気に悩まされ雨具を買い、寒さと疲れで少々グッタリしていた。今日はOklahoma州Clintonにて泊まった。走行距離は約438キロ・・・。


2004年8月21日 〜睡魔の襲う道〜

久々の快晴の空の下、Tシャツ1枚でルート40をひた走る。どこまで行って
も続く真っ直ぐな道に景色。初めは感動したその光景にもこの頃には慣れて
しまい、少々飽き飽きしていた。前を走るバイクを見ればユラユラしている
し、聞いてみれば「1秒寝てしまった」と言う。疲れた体に緊張のない真っ直
ぐな道。頭を叩いてもコーヒーを飲んでも睡魔は片時も離れることはなかっ
た。約640キロという長距離を無事に乗り切ると、アメリカでも珍しい天然ミ
ネラル温泉のある町Arkansas州Hot Springsに到着。眠気に負けて温泉にも
入らずに就寝。この町はやたらとHarleyが多く、夜は治安が悪いイメージが
あった。


2004年8月22日 〜ロックンロール&カントリーロード〜

今日もひたすらルート40を東に進む。Memphisにてエルビス・プレスリー博物館に寄った。現役の頃使っていた自家用飛行機にスポーツカー、Harleyなどが展示され、エルビスの全てを知ることが出来る。自宅には専用バスが出ていたが、時間がなかったために行けなかった。

ロックンロールのリズムで体も頭もスッキリし、今日の目的地Tennessee州Nashvilleまでの669キロを走り切った。この町はカントリーミュージックとバーボンが有名で、夜は疲れていたのだがカントリー・バーをハシゴした。どこでもその土地特有の文化を楽しむことは重要で、本場の雰囲気を知ると何でも好きになってしまう。

ここで酒の弱い俺もテキーラを2杯飲み、泥酔・・・。エルビスの真似をしていたバンドに絡んでは地元の人と踊り、CDまで買ってしまった。帰り道は真っ直ぐ歩けなかったが、非常に興奮した思い出深い夜だった。ここまで来ればニューヨークもあとわずか!


2004年8月23日 〜緑に包まれた道〜

ルート65を東へ進むと緑が美しいKentucky州に入る。

ここでNational Corvette Museumを訪れた。世界中のCorvetteがこの近辺
で作られ、輸出される。車が好きな人にはたまらないが、興味のない人には
全く面白みのない場所である。

その後、リンカーン大統領が産まれたという素晴らしい外観の建物の階段を
ゆっくり登った。中に入って驚いた。外観からは想像もつかないほど小さくて
貧しい小屋がポツンと展示してあった。歴史的に偉大で、広大なアメリカ大
陸の大統領になったリンカーンが産まれたとは信じられなかった。アメリカン
ドリームを叶えた彼は、緑に包まれた田舎でヒッソリと育ったのである。

その後、もう見飽きた真っ直ぐな道をひたすら約454キロ進むと、今日の宿
Lexingtonに到着する。

走ることに面白味を感じなくなり、鋭いカーブが続く峠が恋しくなった。


2004年8月24日 〜迷路のような道〜

フリー走行中に問題発生!

参加者の一人が待ち合わせ場所に現れないのだ。集合時間を30分過ぎても、スタッフが探しに行っても一向に見付からない。ホテルまでの行き方は前もって説明されていたため、仕方なく一人無視して先へ進むことになった。英語が話せない人がこんな広大な場所でホテルまでちゃんと辿り着けるのだろうか?

心配しながらもヘアピン・カーブの続く峠を慎重に進んだ。予定時間を大幅に過ぎホテルの前まで来ると、なんと無事に行方不明になっていた参加者が先に到着していた。ホッとして笑いながら夕食をとったが、まさか翌日もっと大変なことが起きるとは誰も予想していなかった・・・。

走行距離413キロ、Varginia州Covingtonにて就寝。


2004年8月25日 〜恐怖のワインディングロード〜

フリーウェイを走ることに我慢出来なくなってきた頃、信じられないくらい長い
ワインディングロードが待ち構えていた。その距離160キロ!日本ではまず
有り得ない道で、バイクに乗る者にとってはたまらなく楽しい道である。アパ
ラチア山脈にあるShenandoah National Parkを気持ち良く流していると、な
んと野生の鹿が2頭前方に現れた。もう少しでぶつかってしまいそうな距離
から、鹿はピョンピョンと山の中へ跳ねて行った。珍しい経験に興奮しながら
も、スピードを上げバイクを倒しながら高速カーブを楽しんだ。フリー走行で速
く走ったため、2番目に集合場所に着き芝生の上で昼寝をした。すると、後
続車が慌てた様子で峠を下ってきた。なんと参加者同士で接触事故を起こ
したと言うのだ!焦ったガイドと俺は、来た道をまた引き返した。20分後事
故現場に着くと、無残に壊れたバイクと足を引きずった参加者が待ってい
た。幸い事故を起こした二人は無事で、重症は免れたようだった。壊れたバ
イクと足を痛めた参加者はトラックに乗り、ホテルのあるVirginia州Arlington
に向かった。病院で治療した結果、右足首骨折で日本に帰ってから手術が
必要だと言う。ニューヨークを目前にリタイアとなってしまったが、大事故にな
らなくて本当に良かった。走行距離約573キロ、いよいよ明日2週間振りに
故郷に着く。


2004年8月26日 〜自由へ続く東海岸の道〜

 ここまでくれば街中を走っているのと大して変わりはない。平坦なアスファルトの真っ直ぐな道を睡魔と闘いながら走った。片側4車線の大都会のフリーウェイをものすごいスピードで大型トレーラーが走り抜けていく。最終日に事故ってはシャレにならないと、慎重に先へ進んだ。走行距離350キロを過ぎると、徐々にではあるが俺の第2の故郷の象徴である超高層ビル群が出現する。そして、12日間の長旅で走った砂漠、熱風、高原、緑に囲まれた山道、草原を昔のことのように思い出し、旅の終わりを感じた。New Jersey州Liberty Parkに近づくと、目の前には美しく微笑む自由の女神が待っていてくれた。思わず喜びの涙が頬を伝った。「やったー!」参加者はそれぞれの思いを胸に、女神と長旅の無事と喜びを分かち合った。
 帰国を前に生涯の夢を叶えられて本当に良かった。総走行距離3642マイル(5907キロ)を12日間で走り切り、アメリカ大陸の広大さ、大自然、文化、人、を自分の五感で思う存分堪能した。これほど後悔のなかった旅も珍しくないと思う。それほど感動、スリル、アメリカを感じた生涯忘れられない最高の旅となった。
 この旅の企画・現地実行を担当したNEZ PERCE NY. INCに大変感謝しています。アメリカでのバイクツーリングに関しては何でも相談にのってくれる大変心強い人が揃っています。


2004年8月29日 〜過去を振り返る1日〜

帰国する前に思い出の場所に出掛けた。

まず、英語と触れ合う最初の場所となった寮に向かった。通学で歩いたアッ
パー・イーストサイドの街並みを懐かしく思いながらゆっくりと散策する。途中
ニューヨークに着いたばかりと思われる学生にも出会った。(私も初めはこん
な風にキョロキョロしていたな)などと思いつつ、楽しい思い出が甦る。

続いてセントラルパーク。いつ来ても季節ならではの美しい自然に溢れ、私
を包んでくれた心休まる大好きな公園だった。『ニューヨーク日記』のPart1
からPart4のページ最後を飾った私の娘『U.S』を植えに来たのだ。寮に住
んでいた頃、映画レオンの真似をしようと大切に育ててきた可愛い鉢植えで
ある。私が帰国したら誰も世話する人がいないことと、大きく育ったので広く
て良い土のある場所に植えてあげたかった。名前の由来は、Yukiの発音の
「U」と韓国人の親友PSの「S」からきている。これからは、太陽をたくさん浴
びて背の高いシッカリした木に育って欲しいと思った。

その後、自由の女神を正面から見たことがなかったので、フェリーに乗りニュ
ーヨークと自由の象徴をジックリ眺めた。いつまで経っても「ニューヨークの自
由」が色褪せることなく、美しいその姿を後世に残して欲しいと思った。

夕日を眺めながらコリアン・タウンで食事をし、エンパイヤステートビルに登っ
た。息を飲むような美しい景色を見ながらも、なぜか悲しくなった。世界一の
夜景もしばらく見ることが出来ないからだ。後悔しないように360度全て時
間をかけて眺めた。綺麗とか美しいといった類の言葉しか出てこないその景
色に大満足した。

私が暮らしたニューヨークも明日で最後となる。寂しいが時間は常に進んで
いる。後悔することはもう何もない。


2004年8月30日 〜ありがとう♪New York〜

私が過した1年2ヶ月という限られた時間は、自分でも感心するほど充実していて楽しいものだった。その理由に、New Yorkという町が「自由」で飽きることのない魅力的な場所であったからという明確な事実の他に、素晴らしい「出会い」が星の数ほどあったことが挙げられる。

"There is opportunity every corner"、バス停で偶然見つけた好きな宣伝文句なのだが、New Yorkには文字の通りたくさんチャンスが転がっている。人それぞれやりたい事は違うけれど、ニューヨークは全ての人が平等な立場で力を発揮出来る場所で、努力を受け止めてくれる場所だと思う。

最後にゴチャゴチャ語ってもしょうがないので、一言だけ言っておく。

New Yorkで出会った全ての人に感謝の気持ちを伝えたい。

ありがとうございました♪

また、どこかで会いましょう!





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