■ニューヨーク日記 PART 4■


  ◆2004年4月1日〜7月2日


【2004年4月3日(土)】 

歩いて見た感じとてもBostonに似ている一角がある。Pier 17と呼ばれる
観光スポットで、19世紀にはニューヨークの玄関港として栄えた場所で
ある。今は大型ショッピングセンターが建ち、中には数十件の店とレスト
ランが並んでいる。注目したいのは建物の中庭から見渡せる素晴らしい
景色。ブルックリンブリッジと広大なイーストリバーをリクライニングチェア
ーに座りゆっくり眺める事が出来る。あいにく天候が悪く寒かった為すぐ
に帰ったが、夏に夜景を見に来るのも悪くないと思う。
そして、学校のすぐ裏にあるU.Nの側で映画の撮影があるという情
報を得たので興奮して近所をウロウロしてみたが、結局ロケはいつ
まで経っても始まらなかった・・・。悔しい!だってニコール・キッドマ
ンの最新作の撮影だったから!ニューヨークは数々の名作映画を
生んだ街だが、その後ろには歴代市長の寛大な許容心がある事を
忘れてはならない。ニューヨークに長く住んでいると遊ぶ場所が大
体決まってくるので、最近はまだ訪れた事のない場所を心掛けて
歩き回っている。そして今日から夏時間の始まり。睡眠時間が一
時間減ったと共に、夜遊びの時間が増えて嬉しい様な複雑な気分
であった。

左の写真は、 NYPD(New York Police Department)のロゴが入っ
た駐車禁止の貼り紙。“Mayer's Office of Film” と記され、ニュー
ヨーク市長の撮影許可を得ていることを示す。


【2004年4月4日(日)】 

ニューヨークにはありとあらゆる世界各国のレストランが集まっている。ただ前から疑問に思っていた事がある。それはアメリカ料理とは一体何なのか?そこで先生や知り合いに聞くと「DINERではいわゆるアメリカ料理が食べられる」という答えを得た。興味を持った私はDINERの歴史を調べてみた。すると、その歴史は意外にも古くロードアイランド州が発祥の地とされ、1872年に馬でワゴンを引いた屋台(Lunch Wagon)が路上で軽食を販売した事が始まりとされている。
その後キッチンやカウンターが付いた客車の様なスタイルへと進化していき、現在では普通のレストランと何ら変わらない食堂へと様変わりしたと言う。家の近所を歩いていると昔のスタイルを守ったDINERを偶然見つけた。Relish(225Wythe Av at North 3rdSt)と呼ばれるその店に早速入ってみると、そこにはポテト料理や肉料理、サンドウィッチにハンバーガーといった特に変わったメニューは存在していなかった。それでも古臭い音楽が流れたポップな店内には大勢の若者が集まり、思い思いに食事を楽しんでいた。そんな光景をハンバーガーを齧りながら見ていると、不思議に懐かしささえ感じられた。


【2004年4月5日(月)】 

胸をワクワクさせて週末新しく見付けた店に放課後寄ってみた。Artist & Craftsman Supply (221 North 8th St) と呼ばれる店内には私が油絵を始める為に不足していた道具が全て揃っていた。こんなに近くに便利な店があるとは知らなかった。確かによく考えてみればこの町には多くのアーティストが住んでいるのだからこんな店があっても不思議ではない。何十種類もある絵の具の種類の品揃えの多さに驚きながらも、筆や絵の具を数点購入した。ウキウキしながら家路に着き、筆を執った。数点描きたいと思うアイディアがあったのでそれを見ながら下地を塗ったのは良いが、途中好きな写真も入れたくなったのでそれも貼ってみた。
型にはまった画には全く興味が無かったの
で、全て自分が感じたまま好きな様に描いて
みようと思う。好き嫌いは誰にでもあり、私の
画を理解してくれる人もきっと中には居るだろう
と思う。だからニューヨーク滞在中は出来るだ
け多くの作品創作に挑戦して、道端で売って
金を稼いでやる勢いで楽しもうと計画中。何も
知らないって怖いですね!下地塗ったら2日間
程乾かさないと次が描けないんですよ。さすが
に不安になったので、画で生計を立てている
友人に色々聞きました。


【2004年4月6日(火)】 

ご覧の通り午前の授業は私以外皆女性という素晴らしい環境である。別に羨ましいだろう?などと自慢するつもりはなくて、最近解決した深刻な問題について触れようと思う。10月に日本に帰国した後ぐらいから私はちょっとしたニューヨーク病(ある本から頂きました)にかかってしまった。具体的に言うと「ニューヨーク生活に満足出来なくなった」という事実であり、日記でも何回か書いた事があった。自分でもなぜそうなったのか分からない日が続き、何だかんだ解決するまで何ヶ月も掛かってしまった。「同じ学校に長く通い過ぎたから授業がつまらない」という理由が出たが、それも当てはまらなかった。友人に誘われても断る事が多くなり、一人で考える時間が増える、何をしてもつまらない・・・などなど症状は色々とあった。
どうやって解決したかは、「一人で深く考え込むような時間を作らない」「新しい事に挑戦してみる」「なぜニューヨークに来たかを考える」「規則正しい生活を心掛ける」などを試してやっと治す事が出来た。最終的に「忙しい毎日(充実した一日)」を続けていればニューヨーク病には罹らないと思う。人によって充実した毎日の意味は違ってくるが、私の場合は他人の為に何か出来る事を見つけた事がキッカケで新たな活力を得る事が出来たと解釈している。原因は不明ですが、現在の私は写真の様に毎日楽しい生活を送っており、良い意味で忙しい毎日を過ごせています♪


【2004年4月10日(土)】 

イタリア人の友人Antonellaが家で本場のイタリア料理を作ってくれるという事になったので、ついでにパーティーを主催する事にした。当日は朝から家の掃除とランドリーに行きながら料理の準備をし、終わったら買い物、電話の応対に片付けとパーティーが終わるまでものすごく忙しかった。今回は私が散らし寿司と肉じゃが、彼女が2種類のパスタ(ムール貝、生オリーブをベースにしたモノ)を作った。夜7時〜夜中の2時までに20人の友人が集まり、ワインやビールを片手に料理を楽しんだ。近くに越してきた先生のAdamも来て、お得意のギター演奏を披露してくれた。その後韓国人、スペイン人の友人も演奏し、それぞれ違った演奏の仕方に土地柄の違いを感じる事が出来た。そして皆酔ってきたところで音楽のボリュームを上げダンスをした。こうやって英語を通して会話をし、一緒に飲んで踊っているとなんだか皆と一つになれた気がしてものすごく幸せな気分になった。しかし、さすがにホームパーティーを開く事にも慣れて楽しいのだが、ホストは常に忙しいので今度は誰かの家にお邪魔して楽をしたい気分である。あ〜疲れた・・・。


【2004年4月16日(金)】 

一冊の本を紹介しようと思う。その名は「NYに住んでも幸せになれない〜ニューヨーク病を超えて〜」なんてフザケタ名前なのだろうと思っていたら、ナント著者はあの有名な「ぶりてん Nuts New York」を創刊した竹永 浩之さんであった!しかも色々とあって今日から始まったインターンシップ先Asahi Shimbunの上司でもあったから2度ビックリ!!本人と面接をした時はとても緊張したのだが、家に帰り本を読むと彼の印象が180度変わった。ものすごく砕けていて楽しい人である事が分かったからだ。そして誰よりもニューヨークと日本人を愛していると感じた。印象に残った「私はアメリカ人と英語で喧嘩が出来ます」という文章がある。留学から帰国して就職面接の際に「私はTOIEC900点取りました」と答えるよりもこちらの方が圧倒的に印象強いと思いませんか?こんな摩訶不思議な文章を書く竹永さんの下で、数人の学生と共にインターネット上でコラムを書かせて貰う事になった。
内容は主にパソコンの前で「文章を書く事(取材込み)」と「面白い英文新聞記事を訳す事」の二つ。やっぱり時間に追われて仕事をすると、終わった後の充実感が学校とは違って爽快なモノだった。ただ、私的にはもう少し責任感のある仕事が欲しかった、少し物足りなさを感じた。何について書いても構わないのだが、すぐに書ける人は少ない。その点私はニューヨーク日記のおかげで随分助かった気がした。なぜなら文章を書く事に慣れているので、苦労せずに1コラム既に書いてしまったからだ。初日で全て分かる事なんて無いに等しいので、今後はいつも更新している日記とは違った視点で面白いコラムを書いていきたいと思う。(名前を載せるかはまだ決めていません)仕事場は常に日本語だが、文章を書く事に興味のある人にはプロが添削してくれるのでお勧めのインターンシップ先だと感じるし、面接だけの無料参加という利点がある。週8時間以上働ける人応募してみては♪
asahi.com MY TOWN USA


【2004年4月17日(土)】 

やっとニューヨークに本当の春がやって来た!という訳で花見をしにBrooklynにあるBotanic Gardenを訪れた。($5)庭園内にはこれでもかと言わんばかりの満開になった桜が待ち受けていて、私達を大歓迎してくれた!天気も夏のように暑く、タンクトップ一枚で行動出来たくらいであった。庭園内にある日本庭園が大人気で家族連れやお年寄りで溢れていた。それもそのはず、染井吉野が感動するくらい見事に大きな花を煌びやかに咲かせていたからだ。こんな雰囲気の中で誰が落ち込む事が出来るのだろうか?そんな気にさせる最高の気分であった。
その後地下鉄で移動し、通称D.U.M.B.O(Down Under Manhattan Bridge Overpass)と呼ばれるエリアで信じられないチョコレートショップに立ち寄った。先生曰く世界で一番美味しいチョコが味わえる店らしい。Jacques Torres Chocolate (66 Water Street)と呼ばれる店内にはHot Spicy Chocolate($2.50)と呼ばれる今まで味わった事のない飲み物が待っていた。味は、何とも言えない奥深い甘さがあり、その中にアーモンド?ちょっと香辛料が入った様な?・・・とりあえずぜひ試して欲しい素晴らしい一品であった。 
その後私の一番好きな先生AnsonとChelseaにあるギャラリーで待ち合わせをし、イタリアンレストランで食事をした。ワインを空け、口が柔らかくなったところでクラスでは話さない事や個人的な話を沢山した。何て素晴らしい夜なのだろうか!星空を眺めながら外で食事、絶えず笑い声が聞こえ、まさにニューヨーカーの生活を堪能した。寒くて長い冬が明け、素晴らしい季節になった事を実感出来た一日であった。今日の様に感情的な文章を書いた場合、私は通常酔っています♪ハハハ


【2004年4月18日(金)】 

今日も最高の天気の中友人と共にWilliamsburgを散策した。春になれば気分も晴れやかなのは動物も同じ事?!そしてニューヨークは様々な種類の犬が見られる貴重な場所だと思う。日本と違って公園には犬専用の遊び場が設けられていて、飼い主はご近所さんとベンチに座り楽しそうに会話をし、犬は友達と無邪気に駆け回っている。そんな心温まる光景を見ながら散歩していると新しい店を発見した。近所には続々と新しいカフェやレストランが建ち並んでいるが、その中でも今の季節にピッタリのアイスクリーム屋であった。(Stand Street沿い)15種類近くある中から好きなモノを選び、外に出て春風を感じながら味わう瞬間、何とも言えない幸せを感じてしまった。約10ヶ月が経ち、私は春夏秋冬全ての季節を堪能する機会に恵まれて本当に幸せだとつくづく感じてしまった。後悔をあえて言うのなら冬の雪に覆われたセントラルパークで写真を撮れなかった事。今思うと本当に外出したくなくなる程寒かったなぁ〜と想い出にしばし耽ってしまった。猛暑の続く長い夏、短いが美しい秋、長い極寒の冬、短くて新緑眩しい春、そしてまた私を初めて歓迎してくれた夏が顔を出している。


【2004年4月19日(月)】 

学校の課外授業でQueensにあるShea Stadiumを訪れた。駅前にそびえ立つこの野球場のデザインは、とても開放感があり広く感じる。場内のスタンドは空席が目立ち、ガランとしていて観客の数が驚くほど少ない。混雑した場所が嫌いな私だが、スポーツ観戦でこれはないなと感じてしまった。今回の目的は、今季鮮やかなデビュー戦を飾った背番号25番 松井 稼頭央選手を見る事だった。New York Mets VS. Brooklyn Exposの対戦は($11)、ジェット機の騒音にイライラしながら始まった。
試合開始直後思いもよらなかった日本人メジャー初対決も観る事が出来た。Exposの大家 友和投手と松井選手の対決で、結果として3打数無安打という大家選手の勝利で終わった。試合の内容は豪快なホームランが何本も放たれ白熱したものだったのだが、観客の数の少なさのせいで歓声がいまひとつ聞こえずいつもより面白く感じられなかった。
こうして日本人選手が海外で大勢活躍する事により日本人の器用さが世界的に認められ外人ファンも増えるので、私としては今後とも増えて欲しいと思う。「頑張れ松井!」と叫んでいる日本人ファンに混じって、台湾人の友人が一緒になって日本語で叫んでいたのが妙に微笑ましかった。。

KAZ MATSUI

Shea Stadium

TOMOKAZU OYA


【2004年4月23日(金)】

毎週金曜日、私は複雑な気分になる。週末の始まりを表すと共に友達との
別れが待っているからだ。せっかくニューヨークという限られた場所で異国の
友人が出来たというのに、メールアドレスの交換をする時期が訪れるなん
て・・・。そんな感傷的な場面を数え切れない程体験してきた私は、また会え
る日を楽しみに「さよなら♪」を笑顔で言えるようになった。

その後ニューヨークで出会った古い友人と共にギャラリーのオープニングセレ
モニーに顔を出した。
家の近所の日系洋服雑貨屋内で行われた展示会には、イラストに近い雰囲気を持つ和と洋の混ざった不思議な画が、掛軸として飾られていた。日本の和の象徴になる掛軸にイラスト?!独特な「Tokyo Alice」さんの個展でした。

そしてご近所さんの先生Melissaから路上BBQパーティー?のお誘いがあったのでお邪魔すると、雨が降っていたにもかかわらず外で肉を焼いていた。室内でも何やら騒ぎ声が聞こえたので中に進むと、そこには何十種類にも及ぶ水槽が置かれていた。
中にはサメやら色んな種類の海水魚、海草が綺麗に飼育されており、先生
に聞くとここはオーナーの自宅兼アトリエであると言う。(AQUATI REATION 
@99North10th.St) 古い倉庫を改装した家が多いWilliamsburgには、こうし
た自分の趣味を活かしたカッコ良い個性的な家が点々としていて実に興味
深い。

しかも最後に知ったのだが、お邪魔したパーティーは先生が開いたパーティ
ーではなく、私の知らないアメリカ人4人組の合同誕生日会である事が判明
した。近所の人が入ってもお構いなしのアメリカ人の大雑把な性格という
か、日本では考えられないダイナミックさを感じた一日だった。


【2004年4月24日(土)】

休日の楽しみは何といっても自由気ままに散歩をする事。そこで春を迎えたセントラルパークに何ヶ月ぶりに出掛けてみた。桜の花はもう散ってしまっていたが、新しい植物が美しい鮮やかな色と共に姿を現していた。特に目立っていた綺麗なピンク色のチューリップが、地面を覆うほど咲き乱れていた。プラザホテルの前から歩いて中に入りアッパーウエストサイドまで歩くと、そこにはフリーマーケットが開かれていた。個性的で魅力的な品が揃っていたが、何も買わずにイタリアンレストランでブランチをとる。気取ってグラスワインを飲んだが、食後酔って大変な事になった。上手く歩けないのだ!途中休みを入れながらなんとかセントラルパークの芝生まで辿り着き、横になった。春の日差しを浴びながら昼寝をする。
小鳥の鳴き声と美しい緑に囲まれ、酔いも手伝ってかグッスリ寝てしまった。休日って昼まで眠っていたくなるが、やっぱり時間は有効に使いたいものだ。ふと感じた事で、ニューヨークのお土産ってこれといった物が今まで浮かんだことがなかったが、フリーマーケットではなかなか手に入らなくて素晴らしいお土産が手に入るのではないかと思う。


【2004年5月1日(土)】

週末だというのに朝7時に起きた。なぜなら初めてのニューヨーク
ボランティア活動に参加するためだ。Mラインに乗り込み、目的地
があるブルックリンはCentral STまで移動した。今回のボランティ
ア活動の内容は、社会的な問題(貧困、家庭内暴力、失業など)
で厳しい生活環境にいる人たちが暮らすシェルターのペンキ塗り
や掃除をするというもので、50人募集された。ネットで見つけた
NY de Volunteer Incという非営利団体のH.Pをこまめにチェックし
て、いつかやりたいと思っていた活動が遂に実現出来た。一人で
参加したために初めのうちは少し緊張していたが、汚い壁をみん
なで協力して綺麗に塗り替えていくと自然に笑みがこぼれ、会話
が生まれた。
日本人だけでなく、地元のニューヨーカーも大勢参加し、英語で話しながら2階から4階の部屋を全て見違えるよう
に綺麗にした。終わった後はみんな下から上までペンキだらけになりながらも、充実感に満ち溢れた爽やかな表情
がうかがえた。最後の挨拶では、シェルターのオーナー自らが感謝の気持ちを表し、何回も何回も「サンキュー」を
繰り返していた。シェルターを使う人が滞在出来る期間は6ヶ月から10ヶ月で、退室した6時間後にはまた新しい
住人が入ると言う。そんな忙しいシェルターを短時間のうちに数少ない職員で掃除する事は、不可能に近い。そん
なニューヨークの厳しい現実を知り、考えさせられたのと同時に、参加してつくづく良かったと思った。一人で参加す
ることってとても勇気のいることだと思うが、私の他にも大勢の人が単独で参加していた。初めの一歩さえ踏み込
めば、素晴らしい社会経験を体験出来ると思う。お洒落で遊ぶ場所に困らないニューヨークも、違った視点から見る
と一味も二味も違う表情を持っていることに気付く。そんな素晴らしい機会を与えてくれた今回の主催者である
NYdV代表の日野紀子さん(赤いTシャツを着た人)に、感謝したいと思う。それに、ボランティアを通じて仲良くなっ
た人も大勢出来て、番号を交換し今度遊ぶ約束も出来た。ただ、上から下までペンキまみれのまま電車に乗り、チ
ャイナタウンに寄り道していたら何人かに笑われてしまった。ふん、これは列記とした勲章なんだよ♪


【2004年5月2日(日)】

私にとって家族のような存在であるYOKO & KURIが日本に帰国することになった。そこで、お別れパーティーを自宅で開くこととなった。一人$10という条件でパーティーの準備を全て請け負ったが、買い物4回を含めるとかなり忙しい一日だった。昨日の疲れも残っていたためすぐに酔っ払い、盛り上げ役に徹した。そして、前もって用意したホイップクリームを皿に盛り、隠しつつ二人に近寄って放り投げた。不意打ちを喰らった彼女達はクリームまみれになりながらもかなり喜んでくれた様子。本当に仲間って大切な一生の財産だと思う。どんなに辛い事があっても彼らのおかげですぐに立ち直ることが出来る。何回助けてもらったか分からないほどだ。私が入学した日に会い、それからのニューヨークライフを一緒に分かち合った。 
思えば友達として性別なんて関係ないと思う。今まで女
の子とこんなに仲良くなったことがない、これもニューヨー
クで出会ったからなのだろうか。そして、最後の最後でつ
まらない喧嘩をした。楽しい気分もすぐに静まり、結果的
には彼女を泣かせてしまった。でも、こうやって言いたい
事を言い合い、仲直りをしてお互いの絆を更に深めること
が出来たので、無駄ではなく意味のある喧嘩だったと思
う。ただ、今月に仲の良い友人の大半がそれぞれの母
国に帰国してしまうため、何だか心に穴が開いていくよう
な気分になる。それが、しょうがない事だと分かっていて
も・・・。
とりあえずパーティーが終わり、ホッとしているとドッと疲
れが出てきた気がする。しかし、明日から一週間の休み
をとったので暫くは休息がとれそうです。さぁどこへ行こう
かなっと、お休みなさい♪


【2004年5月3日(月)】

昨夜のお別れ会とは別に、私たちの一番好きな先生と二人を含む親しい4人で食事をした。本物のニューヨーカーが選ぶ店はやっぱり素晴らしい!イーストビレッジにある小さな小さなその店は、知る人ぞ知るイスラエル料理店だった。フライバナナに新鮮な魚介類を混ぜたサラダ?をつけて一緒に食べる。なんとも言えない不思議な味だが、ワインととても合い美味しかった。その後、先生のとっておきの場所であるdetour (349E.13th St @1st.Ave)というジャズ・バーに移動する。本当は教えてはならないのかもしれないが、とにかく素晴らしかったので紹介したいと思う。
小さいが落ち着いた雰囲気のある店は、音響効果が良いためか有名・
無名に関わらず、多くのジャズ演奏家が好んで訪れるらしい。たまたま
演奏していたピアニストが日本人女性で、力強く息の合ったメロディーに
会話を忘れてウットリしてしまった。それもそのはず、ジャズ・バーを訪れ
たのは今日が初めてだったし、彼女は海外ツアーを組むほどの超有名
人だったから♪先生に話したら「まだ赤ちゃんだな」と笑われてしまった。
後日判明した日本人ピアニストの正体は、山中千尋さんでした。

散々今まで歩き回ったので、私もちょっとしたニューヨーク通かなと思って
いたが、まだまだ奥が深い街のようだ。


【2004年5月5日〜8日(水〜土)】

最近バタバタして忙しかったので、急遽一人になるべく旅に出ることにした。そこで私が選んだ先は、オレンジ大国FloridaはOrland。2回目となる今回の訪問の目的は、ズバリ常夏気分を味わいながらHarley Davidsonを走らせる事だった。ニューヨークに来る前まで日本でハーレーに乗っていたが、お金と今後の維持を考え泣く泣く手放した。そのため最近バイクを見ると無性に乗りたい衝動に駆られていたので、飛行中はかなり興奮していた。そして、現地に着くと前回とは違い雲一つない常夏の青空が迎えてくれた。タクシーに乗り込むとすぐに嬉しい事実が判明した。ドライバーもハーレー乗りで、私が「Harley is the best !」と話すとすぐに友人に電話を掛け始め、嬉しそうに「日本人が日本製バイクを否定してるぞ!彼は本当のハーレー乗りだ!」と熱く語っていた。その後彼の薦めでOrland Harley Davidsonに着くと、そこには狂喜のあまり叫んでしまいそうになるくらい多くのバイクが駐車してあった。
抑えきれない気持ちをなんとか堪え、レンタルの手続きを進めるとある問題が発覚した。なんと国際免許証のスタ
ンプが一つ足りないから貸せないというのだ!納得出来ず、嘘をついたりしたが結局相手にされなかった。免許証
をよく読むとやっぱりこのままではバイクに乗る事が出来ない事実が判明した。ガッカリしてバイクの写真だけ撮
り、乗ってきたタクシーをまた呼び寄せて、ホテルにチェックインした。信じられない事実に途方に暮れ、外出せずに
プールサイドで昼寝をした・・・。外出する気分も失せ初日は部屋でのんびり過ごした。
翌日には気分が良くなったので、今度はレンタカーを借りた。広い車線と心地良い風を感じながらOLD TOWNと呼ばれる昔のアメリカを体験出来るちょっとした町に繰り出した。小さな遊園地やクラシックカー、古い町並みを眺めながら歩いては写真を撮り、私なりの自由なひと時をゆっくり楽しんだ。私の想像する理想のアメリカとは、この町のイメージにとても近く、何もしなくても幸せな気分であった。その後、地図で見つけたOrland Museum Of Art
までドライブ。館内には自然を模ったガラス工芸作品が繊細な照明に照らされ、なんとも言えない息を飲む美しさを醸し出していた。Chihuly の作品は、スケールが大きく鮮やかで、まるで深海の底を眺めている気分にさせてくれた。夜にはAmtrakで旅行をしている友人から電話が掛かってきて、近くに居るということで翌日にMiami で会う約束をした。
早起きをして地図を片手に快晴の中高速をひたすら南に進んだ。どこまで行
っても続く真っ直ぐな道をひたすら4時間進むと、そこにはエメラルドグリーン
の海岸が続くMiamiに到着する。あいにくAmtrakの遅れのために友人とは
会うことが出来なかったが、久しぶりに見る海景色で心が躍った。一人で地
図を見て知らない土地を運転しながら写真を撮ることは、非常に難しく危険
だったので一回も車から降りることなく帰路へついた。途中ノーヘルメットの
Miami らしいバイカーとも会い嬉しかったのだが、道を間違えたのでホテル
まで6時間も掛かってしまった。足が攣りそうになりながら最後の晩はポテト
チップスとオレンジジュースを頬張りベットに横になった。   
一人旅って自分を試す良い機会だと思う。誰にも頼ることなく全て自分一人で責任を負わなくてはならない。しかし、誰にも気を遣うことなく自由気ままに過ごせるという利点もある。今回の旅行で気付いた事を挙げると、@まず英語に対する度胸がついたので世界中どこへでも行けそうな自信がついた、Aアメリカ大陸は果てしなく広い、B夏という気候が全てを楽しいものに変えてくれる。

そんな事を考えながらニューヨークに着くと、やっぱり故郷に帰った様な気持ちになったと同時に、肌寒い気候に身震いをした。アメリカは思っていた以上に広いなぁ〜。


【2004年5月10日(月)】

バレエ初体験の私にはちょっと良過ぎる席と内容に圧倒されながら、二度目のMetropolitan Opera House を訪れた。今日はアメリカを代表するバレエ団American Ballet Theater のOpening Night Gala と呼ばれる今シーズン初公演が開かれる特別な日だった。($115)ダンスを習っている友人が色々と興奮しながら説明してくれたが、何をそんなに感動しているのかは私には分からなかった。要するに、世界を代表する超一流のバレリーナが集うとても貴重な初公演だと言う。普段は「白鳥の湖」など一つの劇を最後まで見なくてはならないのだが、初日だけは様々なバレエの名場面だけを短時間でたくさん観ることが出来るので初心者の私にとってはとても有難かった。
私にとってバレエとはクラシックなイメージが強かったのが、趣向を凝らした彼らの公演にはとても衝撃を受けた。ク
ラシックなものから、コメディー調のもの、フラッシュの光を断続的に使った現代的なものまで、幅広い内容に興奮
せずにはいられないほどだった。さすが「音楽の視覚化」と表現されるだけの意味が分かった。男性は力強く飛び
跳ねる「白馬」、女性は軽やかに美しく舞う「白鳥」のような印象を受けた。肉体美も然ることながら人間業とは思え
ない身体能力に感激してしまった。そして、世界的に注目を浴びるABTの今季初公演には、TVクルーや有名女
優、着飾ったマダムが大勢訪れ、それを見ているだけでもどれほど長い歴史のある素晴らしいバレエ団なのかが
分かった。


【2004年5月15日(土)】

自転車を買ってしまった!一目で気に入ってしまったからだ。今まで衝動買いは控えていたのだが、今回ばかりは本当に惚れてしまった。昼間いつものコースをブラブラしていると、自転車屋が目に留まったのだ。中を覗くと私が好きなタイプの古くて少し汚いが、味のあるローラーダーが飾ってあった。試乗させてもらい、即決してしまった。もちろん宝物を見つけたような気持ちで買ったのだが、帰り際に店員からも「ナイス・チョイス」と言われ、有頂天で帰宅した。早速サイクリングに出掛けWilliamsburg Bridge を渡り大好きなダウンタウンで皆の視線を浴びながら気持ち良く走った。
疲れたら公園で休んで、また町を散策する。行動範囲が広がったと同時に、歩くよりも効率が良いので知らない場所も短時間でスイスイ進めた。そして、Union.SQ でLラインに自転車を乗せて帰ろうと思ったのだが、あいにく動いておらず仕方なく来た道を引き返した。最近スポーツを全くしていなかったので、調度良い汗を掻いたというか、とても疲れた・・・。

暑くなったり、寒くなったりする安定しない気候のニューヨークもやっと落ち着いて、夏が近づいてきた気がする今日この頃でした。


【2004年5月18日(火)】

毎週火曜日と木曜日は、私の気分を左右するとても重要な日である。なぜなら、インターンをしているAsahi 
Shimbun に原稿を提出しなくてはならないからだ。担当上司に提出する際に言われるコメント次第で、帰り道の足
取りが変わる。今日は憂鬱な気持ちで帰路についた。自信をもって提出したのだが、コラムのツボ・切り口が合って
いないと言われたからだ。今まで他人から文章を直されることを知らなかった私だが、最近落ち込みはするけれど
今後のためになっていると感じる。無給だから手を抜くのではなく、最大限に自分の実力を出すためには毎日の地
味な練習が必要である。

先週末はのんびりし過ぎたことから少し油断したのかもしれない。
毎日必ずしなければならない事って人によってそれぞれ違うと思う
が、例えると植木の様な存在になる。毎日水をあげていれば少しず
つ成長するが、間を空ければ弱ってしまうし、最後には枯れてしま
う。何事も毎日コツコツ続けなければ思うような結果が出ないの
だ。そして、昨日は溜まった洗濯物と部屋の掃除、家計簿をつけ
た。日々の怠けのツケがいつか必ず回ってくるのだ。ラストスパート
は、また心を入れ替えて頑張ろうと思う!

最後に、「あなたしか表現できない文章を書いて欲しい」とは上司
から。意味深な言葉である・・・。


【2004年5月21日(金)】

もはやパーティー会場と化した私のリビングルーム。主催者側の忙しさを知った私は、本当をいうと疲れてい
た・・・。が、しかし。日本人の彼女をもつ親友JOEYの為に誕生日パーティーを開いてあげることとなった。20人近く
集まった今回のパーティーも、持ち寄りの料理や酒で朝3時まで騒いだ。事実上私の部屋を貸しただけなのだが、
皆大いに楽しんでくれた様子。後半になって、JOEYの黒人の友人たちも駆けつけてまた盛り上がった。彼らはニュ
ーヨークでDJやRAPPERをしているため、ノリが良く新鮮な会話が出来て楽しかった。黒人の友人と触れ合う機会っ
て日本人にはちょっと難しいことなので、今回はラッキーだったとつくづく思う。そして、最近忘れかけていた「英語を
話す事の楽しさ、英語を話したいという気持ち」を、また思い出させてくれたパーティーだった。知っていましたか?
風船を自由にしてあげると、願い事が将来叶うらしいですよ。HAPPY BIRTHDAY KANA♪


【2004年5月22日(土)】

今日も二日酔いのまま午後一で活動を始めた。TV局で働いていた時の同僚の妹がニューヨークでダンス留学を始めたことを知り、今日初めて対面した。空の見える中庭をもつ落ち着いたイタリアンレストランで昼食をとり、その後学校の課外授業に参加した。BROOKLYN BEERという名前を一度でも聞いたことがある人は多いのではないだろうか?自宅の近所にあるBROOKLYN BREWERY(79North 11th St.Brooklyn)では、$2.50で昼間からサンサンと輝く太陽の下、美味しいビールを楽しむことが出来る。しかも、ツアーに参加すればビールの歴史や製造方法なども詳しく教えてもらえる。私の父親的存在の先生Ansonと昼間っから酔っ払い、たくさん世間話をした。何種類もあるビールの中から自分に合った味を探すのも面白いし、チョコレート味のビールなんていう奇妙なものも存在するので、ビール好きにはお勧めスポットである。
その後、彼の好きなギャラリーをいくつか紹介した。私も「He is a local」と言われるくらい、地元のことはニューヨー
カーに負けないくらい何でも知っている。そして、私に初めて会った人は外見から想像して新聞社という堅い会社で
インターンをしているとは思ってもみないようで、話すと感心されてしまう。これこそニューヨークならではのことだと
思わないだろうか。日本でタトゥーの入った警察官やスニーカーを履いたサラリーマンを目にすることは有りえない。
外見で判断しないニューヨーク、酔えば気軽に話し相手になってくれるニューヨーカー。これぞ私が求めていたもの
である。それにしても、朝までパーティー、翌日に昼間からビール、なんて贅沢で幸せな時間を過しているのだろ
う。でも、疲れ果てこんな感じで昼寝中・・・・。


【2004年5月26日(水)】

豆乳チョコレート味、SPAM、オートミールと先生から教えてもらった
WHITE BREADを最終的にスーパーで買った。何を始めるかというと、
インターンシップ先で「USAまずいもの大全」と呼ばれるコラムを書く
ための試食をしたのだ。ニューヨークに存在するまずいものなんていく
らでもあるのだが、日本に比べて全てが大して美味しくないため、悩
みながらスーパーで適当にまずそうなものを買ってみた。好きでもな
いものに貴重な食費を費やし、ドキドキしながらまずは豆乳チョコレー
ト味を試飲する。なんと・・・とっても甘いが普通に飲むことができた。
そして、前から悪評高いが挑戦したいと思っていたオートミール。鳥の
エサに似た麦の一種に水を注ぎ火にかける。
そして、かき混ぜること約1分。見た目は汚いが味はいけるかも、と思いつつ一口食べてみると、生温かくて柔らか
い食感に気持ち悪くなった。味がないので塩をふってみたがまずい、本当にまずい。その後、牛乳で煮たり、醤油、
砂糖、ジャムなど楽しくなって色々と試したが、どれも加えた素材の味になるだけで特に美味しいとは思えない。お
腹が空いていたのでまずいが全部食べてしまい、満腹でコラムを書き終えた。

ニューヨークの一般的な食事は、前述したように大して美味しくない。だが、約1年滞在したことにより、私の味覚も
こっちの味に慣れてしまい、最近では何も感じなくなってしまったようだ。悲しい事実である。そうそう、本当はオート
ミールは健康食品としてとても有名で、フルーツやヨーグルトなどと混ぜて食べると美味しいらしい。私にとっては、
味のないただの麦なのだが・・・。その後、たぶん豆乳チョコレート味のせいでお腹をこわして辛い目にあった。


【2004年5月28日〜30日(金〜日)】

来週の月曜日が祭日のため、私は韓国人の友人Jongwooと共に旅行に行くこと
にした。$170という格安のホテル付きチケットをネットで見つけ、Pittsburghに
決めた。行き場所は正直どこでも良かったのだ。放課後、初めて使うニュージャ
ージー州にあるNewark International Airportに向けてバスに乗ったのはよい
が、着いてからが長かった・・・。飛行機の遅れのため3時間も足止めをくらった
のだ。
そして、ようやく着いた真夜中のPittsburghはというと、非常に風が冷たい上に
悲惨な目に会った。タクシーの運転手に請求額を騙されたのだ。空港から近いと
いう理由で選んだはずのホテルまで、$25もとられてしまった。私の勘では$15
が妥当な額だと思ったのだが、反論しても通用しなかった。気分が悪いままベッド
に入り、映画を観ながら眠りに落ちた。
翌日、気持ち良く晴れたが肌寒い天候の下、また恐る恐るタクシーに乗った
のだが、今度の運転手はとても優しい人で観光案内をしつつThe Andy 
Warhol Museum まで運んでくれた。今回の一番の楽しみであるこの美術館
では、彼の生い立ちから初期の作品、後期の作品まで全てを堪能することが
できた。彼の作品は、Pittsburghの影響をかなり受けていると素直に感じた。
なぜなら、モチーフとなる花や大量生産品の缶詰などは、地元名産だというこ
とに散策した際に気が付いたからだ。($6)そんなカラフルで奇抜な発想が
大好きな彼の作品を眺めていると、すっかり時間が経ってしまった。

Andy Warhol=> 
その後、スペシャルイベントがその夜野球場で行われると聞いたので、ダフ
屋から$15でチケットを買ってから移動した。お腹が空いた頃、私たちは
Strip Districtと呼ばれるストリートマーケットで有名な地域を訪れた。だが、
ニューヨークから来た私たちにとっては、ただの小さいチャイナタウンにしか
思えず、特別な物もなかったのですぐにバスに乗った。その後、Oaklandにあ
るCarnegie Museum Of Artという巨大な美術館を訪れた。館内には、時代
の古い絵画から現代美術、恐竜の骨、インディアンの生活・・・などなど一日
ではとても見切れないほどの面白さがあった。そうこうしているうちに夕方に
なってしまったので、野球場へと向かった。
Chicago CUBS VS Pittsburgh PIRATESの対決は、激しい攻防戦になった。
ヤンキースファンにも負けないくらいの地元ファンの熱い応戦のおかげで
PIRETESが見事に勝利した。そして、その勝利を祝うかのごとく花火が打ち
上げられた。川沿いに位置する野球場からは、今年初めてのロマンチックな
花火と元気をもらうことができた。その後、午前中に乗ったタクシーの運転手
と連絡をとり、町が一望できる高台に連れて行ってもらった、しかも無料とい
う太っ腹!マンハッタンの夜景には敵わないが、本当に感激するほどの眺
めを満喫した。
なぜ人は旅に出るのだろう。新たな刺激が欲しいからか、それとも今の生活に不満があるからか。ホテルに帰ってから深く考えてみた。私が思う理由は、@新たな刺激が欲しいからA自分の知らない世界をもっと知りたいからB素晴らしい人々に会いたいから、の以上である。今回の旅行も英語しか話さず、とても充実したawesomeな時間を過せた。そして、最後に一つだけ言いたい。やっぱり帰ってきてつくづく思う

「ニューヨークって素晴らしい場所だよ」とね!


【2004年5月30日(日)】

旅行から帰宅し、すぐに近所にあるバーGalapagosで友人の日本人の友だち
によるイベントに参加した。(無料)彼らのパフォーマンスは、とてもBrooklyn
らしい演出の仕方であった。例えば路上でプロジェクターを使って映像を流し
たり、バーの中に水を使ったArtを創作したり、とストリートを感じさせる内容
でとても感激した。日本では絶対に見られないニューヨークの日本人Artで
ある。カッコつけなくて、素朴で貧乏、でも、芯の通った彼らのパフォーマンス
に時が経つのを忘れて見入っていた。
Brooklynには貧乏アーティストが数多く住み、利益を考えない彼らの創作意欲にいつも感謝・感激である。マンハッ
タンとは違うストリート、生々しい現実を感じさせる町Williamsburg。ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。


【2004年6月1日(火)】

もう6月になってしまった。今月の20日で調度ニューヨーク滞在1年を迎えようとしている。今振り返ると私の過ごしたこの11ヶ月は長いようでアッという間の出来事だったような気がする。日記を見返してみると、色んな事をして色んな場所に行ったなぁ〜、とつくづく感心してしまう。それもこれも今考えれば「英語を学ぼう」という気持ちと、常に前を向いて「新しい何かに挑戦しようという強い気持ち」を自分なりに維持出来たからだと思う。まだ終わりではないのだが、落ち着いて今後の生活の予定と反省をしてみた。最近では、新しい自分の知らない事に挑戦し過ぎて、前からやりたかった事が消化しきれない状態で山積みになっていることに気が付いた。
そこで、いったん落ち着いて平日だけでも家で集中的に英語の勉強をしようと思った。先ばかり考えて自分の足元
に転がっている、本当はもっと大事なモノを忘れかけていたのだろう。

夏が近づくにつれ毎週月曜日は、新入生がどんどん入ってくる。そんな環境の下、私はつくづく感じる。今の私には
あの楽しそうで密集した空間には戻れないと。だが、今でも来たばかりの新入生と何ら変わらない好奇心と英語に
対する意欲は持っている。


【2004年6月3日(木)】

授業中に皆から先生の授業スタイルについて不満が出た。なぜかというと毎日休憩の後にNew York Timesの記
事を読むからだ。しかも、内容が生徒にとって興味のない国際問題であったからである。私は普段難しくて読めな
い記事を先生が易しく説明してくれるので、それなりに勉強になっていたのだが、他の生徒には面白くないようであ
った。そこで、会話を中心にした授業に変えたのだが、さらに新たな問題が発生した。もうかなりの歳になるGerald
(先生)は、聞き手になることが大嫌いな性格ため、途中で会話を中断させて自分で話し込んでしまったのである。
そんな可愛らしい先生のおしゃべり好きを最初は我慢して聞いていたのだが、私は途中から目蓋が重くなり、とうと
う居眠りをしてしまった。そこで、洗面所で顔を洗いコーヒーを一気に飲み干した。が、しかし・・・Geraldの話はいっ
こうに止まる気配がなかった。嫌気の差した生徒たちは目で合図を送っていたのだが、それでも彼は永遠と話し続
けた。これはもう誰かが伝えるしか方法はない、と感じた私は思い切って会話を止めた。「邪魔をして申し訳ないで
すが、あなたの話は長すぎる。生徒たちはもっと話したがっていますよ」。すると、「本当に申し訳ない。確かにそう
思う・・・」と言って、彼はしょげてしまった。私は丁寧にかつ尊敬の念を込めて伝えたのだが、罪悪感に耐えられな
くなり「仕事に行きます」と言って教室を離れてしまった。
こんなに罪悪感を覚えたのは久しぶりだった。外に出てからも頭から離れる
ことはなかった。授業が終わった頃、クラスメイトに電話すると彼は私が去っ
た後にこんな事を言っていたらしい。「私もそろそろ引退時かな」と。ますま
す罪の意識を植え付けられた気がして、これでもかというくらいまで落ち込
んだ。

誰かが伝えなければ、いつまで経っても変わらない。だから友人は言う「そ
れで良かったんじゃない」と。でも、私がGeraldを少しでも傷つけた事実に変
わりはない。どう接したら良いのだろう? 彼が好きだから深く落ち込んだ。
明日彼に会うのが怖い。


【2004年6月4日(金)】

 学校に行くのに気が引けたが、なんとか遅刻しながらも到着した。Geraldに挨拶をしてから授業に参加した。いつもと変わらない授業の進め方にホットしながらも、内心はまだ憂鬱であった。休憩時間になり、勇気を出して先生に話し掛けてみた。するとどうだろう、彼は昨日の事をなんとも思っていなかったとともに、こう言った。「丁寧に教えてくれてありがとう。私が悪かったんだから、君が罪悪感を覚える必要はないよ」と。ようやく落ち着いて嬉しくなった。ただ、彼は引退を決意してしまったようで再来週には学校を去ってしまう可能性がある。悲しい現実だ。
 「歳をとったから性格を変えることができない」と77歳の彼はハッキリ言った。そんな事はないし、新しいものを受け入れることは難しいが、何歳になっても柔軟に考える人間になれると思う。頑固おじいちゃんだからしょうがないのかな。
 そして、最近出席日数の不足で休暇がとれない生徒や日本に帰される生徒をよく目にする。せっかく高い金払って渡米したんだから、最後まで勉強してたくさん遊んで欲しいと思う。


【2004年6月8日(火)】

 授業が終わると久しぶりにMelissa(前の先生)が声を掛けてくれた。私が新しい自転車を
買って通学に使っていたのを見て、彼女が今夜サイクリングに行こうと誘ってきたのだった。
なんだか彼女の友人Jenniferがダイエットのためにサイクリングを始めたとかなんとか
で・・・。「はい」とは返事をしたものの、最近運動不足のため自信がなく不安に思っている
と、嫌な予感は本当に的中してしまった。先生宅に集合してから、わざわざ遠回りして
Williamsburg Bridgeを一気に頂上まで登りきった。一番先に走らされた私は、日本男児とし
て恥はかけないと思い、思い切りこいだのが悪かった。
頂上?に着いて一息入れるとなんだか吐き気がしてきた。それでも、男としての意地を見せ余裕満々な表情で二人を迎えた。やっと難関をクリアしたと思いきや、坂を下り終えるとまた来た道を引き返そうとしている二人を発見。え〜という表情を見せる暇もなく、二人はまた上っていくではないか。意地になって二人を追い越し、頂上に達してから一気に橋を下ってやった。気持ち良い初夏の風に煽られながらのサイクリングは、とても清々しく気持ちの良いスポーツだと思った。橋の外には
1000万ドルの夜景が広がっているしね!

それにしても女性はやっぱり露出度の高くなる夏になると、体型を気にするのはどこの国でも共通だなと感じてしまった。


【2004年6月9日(水)】

今日は久しぶりに心身ともに疲れた日だった。朝から先生と自転車通学をし、ミッチリ6時間授業を受け、帰宅して
友人とささやかなお別れ会を開いてから、ちょっとしたルームメイトの態度に激怒したからだ。ニューヨークに来てか
ら本気で怒ったことがなかった私は、自分が激怒したことに驚いたと同時にとても後悔した、大人気なかったと思っ
た。平常心を失った状況だと私は何を言うか分からないし、何をするのか自分でも分からない。電話中にぶち切れ
てしまった私は、人通りの多い大通りで大声をあげて怒鳴り散らし、通行人の視線も気にせず言いたいことをルー
ムメイトに怒鳴ってしまった。その際、もうすぐ帰ってしまう韓国人の友人Jongwooに心配をかけてしまったし、最後
には酔って訳がわからなくなる始末で、本当に疲れてしまった。

ただ、いくら仲の良い友人や親類であろうとも何をしてもよいわけではなく、「親しい仲にも礼儀あり」とはよく言った
ものでとても痛感した。私は自分なりの正義感と礼儀をしっかり守るタイプの人間なので、時にその道から逸れた
行動を目にすると激怒してしまう。私はその時、間違っていないという自信があったので冷静になってから彼をしか
ったのだが、結果的に泣かしてしまった。彼は私が初めて激怒した姿を見て今後の二人の生活に不安をもち、冷静
になって話を聞いた後に安堵の涙をこぼしてしまったと言う。終わってから考えると、私は間違っていなかったと思
う。彼にとって5歳年上のルームメイトと暮らすことは色んな面でプラスであると同時に、日々気を使わせてしまって
いるのは事実である。ただ、残り少ない私との生活から、少しでも良いから何か役に立つことを得て欲しいと思って
いる。
ニューヨークに来る前の私は、もめごとが発生すると後に引きずる
傾向があったのだが、今回の喧嘩ではすぐに冷静さを取り戻し仲
直りできたので、素直に成長したんだなって思った。こうやって人と
真剣に向き合うことによって自分自身も成長していき、新たな強い
絆が生まれた。そして、「キレル」という言葉を今の若者はよく使う。
親父にも前からよく言われていたが、やっぱり使ってはいけない最
悪の言葉だと思った。

そんなこんなで私も来週16日に、ニューヨークで26歳の誕生日を
迎える。つくづく考え方も体も老けたと感じるが、自分ではまだまだ
若いと思っている今日この頃だった。


【2004年6月11日(金)】

気持ち良く晴れた空を眺めながら学校の近所にあるJapan Society (333 East 47th.street) まで、クラスメイト達と授業中に散歩をした。先生が場所を教えてくれたのだが、初めて訪れた日本の建物に興味を持ってしまった私は、中にある美術館に入ろうと皆を強引に連れて行った。($3)

17〜20世紀までの墨絵・浮世絵など極めて珍しい作品が展示してあった。個人的に現代美術が好きなので、今回は大して目を奪われるような画はなかったのだが、それでも海外から来たクラスメイト達にはとても興味深かったようだ。
そして、竹や涼しい水の音色を奏でる仕組みの中庭がと
ても日本らしい文化を表しており、久々に故郷の夏を思
い出した。

また、現在女優の藤原紀香さんのアフガニスタン写真展
が開催されており、純粋な子供たちの写真も飾られてい
る。
授業が終わってからフランス人のEmilyと一緒に、彼女のニューヨーク最後となる日本食を食
べに出掛けた。上手く箸が使えないので、天ぷらやテリヤキをフォークとナイフで器用に食べ
ていた。そんな可愛い彼女も夕方にはフランスに帰国してしまった。毎週金曜日はやっぱり寂
しくなる。せっかく仲が良くなっても離れ離れになってしまうから。

朝から日本文化にたっぷり浸った私は、午後のクラスでは違うことがしたくなりChelseaの
Galleryに出掛けようと、またもや先生に提案した。急遽予定を変更して外出した私達は、有
名な写真家の展示会に顔を出し、午後ののんびりしたひと時を楽しんだ。放課後「ビールでも
いかが?」なんて誘われたりもしたのだが、昨日インターン先でコラムの提出が出来なかった
ために、会社に向かわねばならず泣く泣く断った。
その後、疲れ果て家に着いた私はビックリした!
ルームメイトと仲の良い数人の友達が、少し早いが私の誕生日会を開いてくれたのだった。腕
によりをかけて作ってくれた料理にワイン、食後のチーズケーキとすごいおもてなしで感激し
た。だが、寝不足・疲れからかすぐに酔ってしまい、意識を失った私は皆のオモチャと化し、朝
までソファーで寝てしまった。

「平日は勉強と仕事、週末は好きなように遊ぶ」そんなメリハリのある生活が、毎日をもっと楽
しくしてくれる♪


【2004年6月13日(日)】

寝坊して起きた私は急いで地下鉄に乗り、グランドセントラ
ル駅まで移動した。青、赤、白のプエルトリコの国旗がマ
ンハッタンの 5th.Aveを埋め尽くしていた。バスケットボー
ルのユニフォームみたいな、愛国心丸出しの洋服に身を包
んだ何千というプエルトリカンが集結し、ラテン系音楽と共
に踊り狂っていた。そう、今日はPuerto Rican Day Parade
と呼ばれる、年に1度のラテン系最大のお祭りであった。
道端では低音の効いたでかいスピーカーからヒップホップが鳴り響き、ストリートダンスが披露され、久々のパレードにかなり興奮した。移民が盛んなプエルトリカンの人口はニューヨークの中でもかなりの割合を占め、現在スペイン語が広く使われている理由の一つにもなっている。そんな篤い愛国心を持った彼らの魂を感じた1日でした。

日本人もいつかマンハッタンの花道で、胸を張って盆踊りパレードなんかやってみたら面白いと思うんだけどな〜。


【2004年6月15日(火)】

やっと油絵が完成しました!けっこう前に描き終えていたのですが、写真を撮らずに飾ったまま時間が過ぎていたので一応紹介します。約2ヶ月も掛かってしまいましたが、自分が思い浮かべたモノが描けた気がします。「私の中にあるニューヨーク」が今回のテーマでした。

今日TOEICの模試の後、ある日本人生徒に変な質問をされました。「どうやったら英語が上手くなるんですか?」と。私は戸惑いながらもこう答えました。「なるべく日本語を使わないように生活してるよ。そのためには外人の友達を沢山つくるように心掛けている」などなど。すると「えっどうやって外人の友達をつくるんですか?」って、(そんなの知らないよ)と言ってやりたかった。
私だって何も知らないままニューヨークに来て、自分なりに目標ややりたい事を決めて行動しているわけで、他人に聞いたから誰でも出来るほど簡単な話ではないと思う。言える事は、多くの生徒が「何をしにニューヨークに来たのか?」という目的について深く考えていないということ。それが分かれば、自然と自分の体が実行しているはずだと思う。別に日本人と固まらなくたっていいじゃない、英語が本当に学びたいなら。かといって、私は日本人を避けてもいないし、ちょくちょく遊んでもいる。ただ、ケジメをつけて生活しないと、何年居ても英語は話せるようにならない。全ては「自分次第」でしょう!


【2004年6月16日(水)】

今日は私の誕生日。普段なら盛大にパーティーを開くところなのだが、今年
は金曜に控えたTOEICのため勉強することにした。時計が0時を差した頃、
まずルームメイトがビールを持って部屋に入ってきた。二人で簡単に乾杯を
して、また机に向かった。すると、今度は友人から電話で
「Happy Birthday」の伝言、お祝いメールと次々に皆が祝ってくれた。
その後眠れずに勉強していると、すでに朝日が顔を出していた。徹夜して迎
えた26歳の朝日は、何とも言えないピンク色をしていて印象深かった。そし
て、学校の授業が終わると次にTOEICの模試が待っていたのだが、昨日
の勉強の成果が出たのか、総合で8割以上とれていたので自信が付いた。

その後、韓国人の友人Jongwooが私の為に3時間並んで買ってくれた
チケットを握り、タイムズスクエアまでミュージカルを観に出掛けた。
昔から興味のあったBeauty And The Beast($49.50)では、子供向け
に簡単な英語が使われおり、衣装や舞台装置が華やかでリズム良く変わる
ため、飽きずに最後まで楽しむことが出来た。しかも、とてもロマンチックな
内容なので、私もつられて恋に落ちたくなった。 
私にとって26歳をニューヨークで迎えたことは、日本で迎えたそれと比べて特に変わりはなかった気がする。ただ、久しぶりに歩いたタイムズスクエアの光り輝くイルミネーションが、今日は特別に綺麗に私の目に映った。そうそう誕生日を機に「禁煙」を始めました。


【2004年6月18日(金)】

ふぅ〜、やっとTOEICが終わったっていうのに、なんとも後味の悪い1日となった。なぜなら、内容が難しかったのもあるが、試験監督が最後に言い放った言葉が私を憂鬱にさせたからだ。「今日は皆にわざわざ教室を移動してもらったので、余分に15分あげましょう」と。(なんだそりゃ!こっちは必死でこの日に備えて時間配分を考えて勉強してきたのに、それでは意味がないじゃないか。
それに他の教室で受けている生徒が可哀想だ)私は文句を言った。だが、彼は思いもよらない言葉をその後口にした。「他の先生はもっと余分に時間をあげているよ」と。「それではテストの意味がないし、卑怯だ!」と反論して時間通りに教室を出ると「あなたは本当に良い生徒ですね」だって。もう呆れて何も言わずに帰ってきた。公式テストのはずなのに、余計に時間を貰い良い点数を取ったところで、私には全く意味がなかった。友人曰く「ラッキーじゃない」ってそんなの全然テストじゃないと思う。そして、私が文句を言っているにも拘らず、黙って回答を続けた他の生徒達の気が知れなかった。こんな事で怒る自分は気が小さいのか?・・・何とも腑に落ちない最後のテストとなった。


【2004年6月20日(日)】

今日はニューヨーク滞在1年目を示す記念すべき日だ
った。そんな思い出深い日に、私はクィーンズはPEA
K−POINT(23−70 BQE SVC RD WEST AST
ORIA)で行われた素敵なバイクイベントに顔を出し
た。たまたま日系スーパーマーケットでフライヤーを見
つけたのがケッカケで一人足を運んだのだが、到着し
てビックリ!!70〜80年代の日本でも珍しい状態の
すこぶる良い旧車がズラリと並んでいたからだ。
その数約30台、CB400FOURにXS650、RICKMAN KAWASAKI、MACH、KHなどなど、バイクが大好きな私は発狂しそうになりながら見て回った。久しぶりにこんなに多くのバイクを見たので、嬉しくて写真を撮ってはオーナーとバイク談義に花を咲かせ、無料のバーベキューとビールを頬張った。快晴の空の下、バイク好きな日本人やアメリカ人と時間が経つのを忘れて話し込み、試乗もさせてもらった。また、私は今回参加したお客さんの中で唯一フライヤーを見て駆けつけた人だったので、主催者側から敬意を払われた。
また別の収穫として、今回色んな分野で活躍して
いる芸術家と知り合えた。帰る方面が同じ人と同
じタクシーで帰り、家の近所でお茶をしながら自
分が活動している事などを中心に話し込んだ。ニ
ューヨークは色んなイベント情報で溢れている。そ
れをどうにか自分なりに上手く探して、参加して
みるととても楽しい出会い・友達の輪が広がると
思う。
今日は映画制作を夢見る写真家と出会い、今度私の書くコラムと彼の写真のコラボレーションという新しい企画を始める話などをした。休日は一人で新しいイベントに参加して、顔見知りがいなくても充分行動出来るようになった、これも自分の中でニューヨーク滞在1年を通じて変わったところなのかもしれない。

偏った日記ですみません・・・バイクが恋しかったもので。


【2004年6月22日(火)】

「大変だ!大変だ!」って何が? という感じだが、実はインターン先で急に取材を頼
まれたからちょっと焦っているのだ。普段は週に2日、しかも午後だけしか働いていな
いためコラムしか書いた事がなかったのだが、インターンシップ終了直前にして初取
材をすることとなった。嬉しい反面、取材先が就職活動フォーラムのため少し緊張して
いる。それに加え、最後に好きなコラムを書かせて貰えることになり、自分でNew 
York Times Cut と呼ばれる客観的に書かなくてはならない英字新聞記事を
主体とした難しい題材を選んでしまったのだ。自業自得だが、せっかくニューヨークに
来たのだから思いっきりやりたいことして、たくさん恥を掻いてやろうと思う。と、
言いつつも現実逃避して新作の油絵を描いている情けない自分が居たりして・・・。

今後の予定として、7月2日をもって学校が終了します。その後、アメリカを独自に探
検したり、趣味に時間を費やそうと思っています。9月2日のビザが切れる日まで滞
在し、帰国する予定です。


【2004年6月25日(金)】

午後の会話クラスがついに終わってしまった。

最後の授業ということで、イーストビレッジはTompkins Squareに昼食をとりに行った。Anson(先生)のお気に入りのタイレストランで昼食を買い込み、芝生に座って会話をしながら食事をした。心地良い日光と緑を見ながら、私が学んだ1年間を思い出し、会話の重要性について考えてみた。
日本人にとって文法は嫌というほど中学から習っているため、比較的覚えやすい。だ
が、外人と滑らかに会話するには相当時間が掛かる。いくらテストで良い点数を取っ
ていようとも、アメリカで上手く話せるわけではない。典型的な日本人の性格からいう
と、恥ずかしがり屋で声が小さい、などという消極的な部分が英語を話す上で大きく
影響してしまう。だから何回も記してきたように、日本人と日本語で会話をすることが
英語を学ぶ上で最悪の環境だと言える。英語を話す際にアクセントはとても重要で、
しかもそれを感情で表現すると言っても過言ではないと思う。だから、単に英単語や
文法を知っていて話せたとしても通用しないのだ。これは数をこなさなければどうしよ
うも改善しないことだと私は思う。

そんな1つの貴重な会話の場が今日をもって無くなった。そしてAnsonという最高の
先生に出会い、長い期間お世話になった。まだまだ会えるとは分かっていながらも、
別れた後今日が最後になってしまうかのように、彼の後姿をしばらく見つめていた。


【2004年6月29日(火)】

結局2ヶ月と2週間で終わりを迎えたAsahi Shimbunでのインターンシッププログラム。ニューヨークに来てから「文章を書く事」に興味を持ち、上司が出版した本を読んだことがキッカケで始めることとなった。今思えば、コラム12個、取材1件、新聞用記事1つ、となかなか貴重な経験をさせてもらった。英語を学んでいる身でありながら日本語も基礎から習うという複雑な心境だったが、毎回苦労しながらも楽しんで書いていた。不満を言えば、文章を書く上で必要となる会社にあるパソコンだった。
天下の朝日新聞社なのに、使っているソフトはWord95か98というあまりにも
情けない設備だった。調子よく書けていても途中で止まったり、動かなくな
ることが多々あった。そんなイライラする環境ではあったが、同じ興味を持つ
仲間と共に色々と学ばせてもらった。上司の竹永氏の鋭い添削と指摘で書
く事が嫌になったこともあったが、彼のおかげで大分まともな文章が書ける
ようになった。色々とお世話になりました。

そして、今後もまた新たなインターンが入ってくるなか、男が非常に少ない
という点が悔しいところなので、興味がある人はぜひ参加して下さい。もち
ろん無料です♪


【2004年6月30日(水)】

午後の授業も仕事も終わり、散歩をする時間が増えた。そこで自宅から自転車に乗ってマンハッタンを散策した。まず橋を渡り、ローアーイーストサイドからUnion Squareまでゆっくり上がる。普段目に留めない楽しい店に、夏を楽しむ人々の群れ、全てがニューヨークらしいというか、特徴があって面白い。そして、駅近辺に着くとタイミング良くGreen Marketが開かれていた。地元でも大人気のこのイベントは、月水金土曜の午前8時から午後6時頃まで開かれ、いつもお客で賑わっている。日本では見られない変わった野菜や季節の果物に生花、全てが採れたてで新鮮そのものである。
他には、手作りパンやマフィン、チーズなども売られていて、ちょっとした食事
がとれる。私は喉が渇いていたので、無農薬牛乳を買って公園で休憩しな
がら飲んだ($1)。すると、私の自転車が珍しいことから色んな人に声を掛
けられた。「この自転車は60年代のだってさ〜!」「へぇ〜カッコイイなぁ」な
んていう会話を、50歳を過ぎたオジさん達がしているのを見て笑っていた。

天気も暑すぎない今現在のニューヨーク、街をブラブラするには絶好の季節
である。アップタウンのような上品さはないダウンタウンだが、人々のどこか
下町に似たアットホームな雰囲気が大好きだ。


【2004年7月2日(金)】

〜英語篇〜

1年間という長い期間をRENNERT BILINGUALで過ごし、英語を集中的に勉強してきた。そんな思い出深い学校の授業も今日をもって全て終了した。私の目標は「英語をマスターする事」に他ならず、自分なりに何とか生きた英語を学ぼうと日々努力をしてきた。ただ、「目標を達成出来たのか?」という質問には、残念ながら自信を持って「はい」とは答えられない。なぜならマスターは出来ていないからだ。
日常会話、自分の好きな分野に関しては問題なく話す事が出来るが、当初描いてい
た1年後の自分にはまだなれていないのが事実である。だが、留学を通じて経験した
「言葉の壁に衝突する事」で相手に通じなくても英語で話し掛ける勇気と度胸が付き、
自分で何とか問題を克服出来る精神力を手に入れた。これは誰もが持っている「自
信」に大きく繋がる大変重要な財産と呼べるもので、自分で苦労しないと絶対に手に
入れる事は出来ないと思う。そんな貴重な体験が出来て本当に留学して良かったと
思う。

そして、最後に受けたTOEICの結果だが、ご覧の通り665点だった。自分としては前
回よりも55点上がったので嬉しいが、まだまだ満足はしていない。New Yorkだけが
英語を学べる場所ではなく、これから日本に帰国した後も趣味の一環として勉強を続
けたいと思う。
〜New Yorkという町〜

誰もが憧れる町、New York。そんな町を初めは右も左も分からないまま1人で歩き回った。恐怖心からなかなか広がらなかった行動範囲も、今思えば1人でどこへでも行けるようになっていた。それは、英語の上達と共に自信が付いたからに他ならない。知れば知るほど楽しくて味わい深い町は、常に変化を遂げている。昔に行った場所も、何ヶ月後には新しい店や改装が施され、また違った顔を見せる。そんな町が大好きで最近では自転車に乗って散策したり、知らない場所を求めて日々冒険をしている。そして、日本に居る多くの人が危険だと想像するNew Yorkだが、留学生として「Manhattanに関しては安全だ」とハッキリ言える。
場所とその人の行動にもよるが、一般的にいう観光地などは警察も常に待
機しているので安心して楽しむ事が出来る。世界中の楽しいエキスが集ま
った場所だけに、長期間滞在しても飽きることはない。好奇心とある程度の
お金さえあれば、世界最高のエンターテイメントを思う存分満喫出来る唯一
の場所なのである。

追加として、ManhattanだけがNew Yorkではない事を知って欲しい。
BrooklynやBronx、Queens、そしてUpstateも含めて全てがNew Yorkなの
である。それぞれ違った文化と特徴を持ち、都心から離れた場所にこそ
人々の吐息が直に感じられるのである。
〜白井祐樹という1人の留学生〜

『ニューヨーク日記』を通じて散々好き勝手な事を書いてきましたが、読者の皆様には本当に感謝しています。私の日本人嫌いっぷりが充分に伝わる文章を書いてきたと思いますが(笑)、英語を学ぶためには仕方なかったことなのです。ニューヨークには日本人が非常に沢山住んでいます。学生に関わらず色んな人が面白い活動をして楽しんでいます。それは、アートや音楽であったりと分野を選びません。そんな中最後になって気が付きましたが、私が自ら作った制約(日本人となるべく接しない)は、あまり皆さんにはお勧めしません。なぜなら英語を学ぶ上では効果的ですが、精神的に疲れるのと、視野がどうしても狭まってしまうからです。
国籍は気にせず、英語を話すという条件で日本人とも接すれば、もっと楽し
く過せると分かりました。ただ、口をすっぱくするほど言いましたが、日本人
とだけしか遊ばないと英語も上達しないし、ニューヨークにいる多種多様な
人種が持つ、特徴ある文化とも触れることは出来ません。そんなもったいな
いことをする人になってはいけません。どんどん1人で行動して、アメリカ人
と体当たりで遊んで下さい。

以上が私の伝えたい事です。
日記から想像する私は、多分真面目で頑固な奴だと勝手に想像していますが、本当は変な奴で知られており「Party animal」とか「Asahi」、「番長」などと呼ばれていました。また、ニューヨークで「文章を書く事」、「アートに触れる事」に興味を持ち、積極的に行動しました。それは、インターンとして新聞社で働く事であったり、道具を買って油絵に挑戦する事でした。自分の好奇心に身を任せ行動していたら、何か新しくて活力の湧く楽しいモノが沢山見つかりました。気が付けばそこには、昔とは違った逞しい自分が居ました。『ニューヨーク日記』が私にくれたモノは、「誰かが読んでくれているというプレッシャー」と「日々の反省と次回への期待」でした。この日記のおかげで、私の留学がより良いモノに変わったとハッキリ分かりました。

最後に、こんなに素晴らしい機会を与えてくれたCareer UP New Yorkの伊藤さんに改めて感謝したいと思います。また、細かいアドバイスや渡米後のアフターケアと非常に心強かったです。本当にありがとうございました。ただ、未だにメールでしかお話した事がなくて非常に残念です!


NYライフ 行事リスト 2003年6月〜2004年6月まで
自宅パーティー 13回開催
外出パーティー 15回参加
課外授業 19回参加
読書 18冊
映画(映画館で観た作品) 33本
写真撮影枚数 1787枚
交友国 26カ国

日本、韓国、中国、台湾、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、トルコ、
セネガル、スペイン、イギリス、オーストラリア、タイ、プエルトリコ、
ジョージア、スイス、ブラジル、ユーゴスラビア、インド、イスラエル、
インドネシア、オーストリア、カザフスタン、メキシコ、ナイジェリア


〜Message to Mr. Shirai〜

July 3, 2004

白井さん、1年間本当にお疲れ様でした。留学中の貴重な日々の中でこれだけの莫大な労力と時間を注ぎ、白井さんが大切に育てて下さった『ニューヨーク日記』が本日の語学学校卒業を迎え、一区切りを向かえることになったことは私にとってもまさに感無量、そして何よりも白井さんに対して感謝の気持ちでいっぱいです。

白井さんとの出会いも、ごく一般的なメールのお問い合わせから始まりましたね。ごく普通に留学準備を整え、ごく普通にNYに飛び立っていった白井さんから、1週間後に 

『おはようございます!ようやく今日からネットが使えるようになりました。今の寮は最高の場所で、毎日楽しくセントラルパークを散歩しております。』

と、NYからメールをいただいた時は、とてもうれしく思いました。何よりも、そのメールに添付されていたセントラルパークの写真がキラキラと輝いていたことが大変印層的でした。その後も、ちょくちょく近況報告のメールと写真をたくさん送っていただきましたね。そうこうしているうちに私は、『こんなに素敵なメールと写真の数々。社内だけに留めておくのは、もったいない!』と考え、白井さんに

『CareerUP New Yorkのホームページに、今まで送っていただいたメールと写真を、日記形式で掲載または連載させていただきたい、と思うのですがいかがですか?』

と提案させていただいたところから、この『ニューヨーク日記』が誕生しましたね。当初私としては、「白井さんの負担にならないよう最初の数週間だけでもいいし、とりあえず続けられるところまで。」、と思っておりましたので、まさか1年以上に渡りこれほどの『大作』として育まれ今日の日を迎えることになろうとは、正直夢にも思わずスタートした企画でした。

『ニューヨーク日記』を連載する上では、

1)日記の内容や写真に一切修正を加えないこと、
2)良いことも悪いことも、ネガティブな情報もすべて率直に表現していただくこと、
3)貴重な時間を遣い心を込めて書かれた日記ですから、必ず即日HPにアップすること、

の3点を信念にこれまでこの企画を運営してまいりました。白井さんの『ニューヨーク日記』が、これから不安いっぱいの中ニューヨークに飛び立とうとしている皆様や、「ニューヨークの生活って実際のところどうなんだろう?」と情報収集をしている皆様、「エージェントの言葉ではなく、実際に留学している生徒さんの声が聞きたい!」という皆様に、幅広くご活用いただければと願って止みません。また、白井さんと同じようにすでに留学している皆様の中にも、この『ニューヨーク日記』を通して、共感したり力づけられたり、勇気をもらったり、同じような悩みを共有したり、留学の意味を改めて考えさせられたり、きっとどこかで心が動く瞬間を経験する方もいらっしゃるのではないかとも思います。

白井さん、この1年余りメールでいろいろなお話をしましたね。それなのに一度もお会いしたことがない、というのは本当に信じられませんね!これから9月の帰国日まで、引き続きコラムを連載していただけるとのことですので、私も読者の一人として、そして『ニューヨーク日記』の一ファンとして、引き続きとても楽しみにしています。そして、秋には東京でニューヨーク談議に華を咲かせましょうか!?

Looking forward to seeing you soon! 

All the best, 
H. Ito 




To be continuted....

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